コペルニクスからとったニックネーム「コペル君」と呼ばれる少年と、彼を見守り続ける若き叔父さんの温かくも厳しい日々を綴った名作
物語そのものはシンプルで、中学生のコペル君こと本田潤一君と、彼が正しい方向に成長していくよう温かく見守り続ける叔父さんの心の交流を記したものです。
立派に育ってほしいと願う大人たちと少年
コペル君というニックネームは、叔父さんからつけられたものです。潤一君は頭の良いばかりでなく、感受性の豊かな少年でした。その彼の発想の豊かさや、彼なりの様々な発見を、叔父さんはコペルニクスの大発見かもしれないよと褒めます。そのことから、叔父さんは潤一君を「コペル君」と呼ぶと告げたのです。
コペル君もまた、そのニックネームをとても気に入ります。
コペル二クスはまだ天動説(太陽が地球の周りを回っているという説)が主流だった時代に、地動説(地球が太陽の周りを回っているという説。天文学史上最も重要な発見とされる)を唱えた科学者ですが、ローマ教会ら周囲から迫害を受けても、決してその意見を覆すことはありませんでした。コペル君は、そういう重要な発見をするかどうかよりも、世間の圧力に負けることなく自分の意見や意思を突き通せるような人になりたい、と願うようになるのです。
病死したコペル君のお父さんの遺言を守る、叔父さんの想い
コペル君のお父さんは病気で亡くなっているのですが、コペル君が立派な大人に育ってほしい、その手助けをして欲しいという願いを、叔父さん(つまり自分の奥さんの弟)に託していました。
実は叔父さんは出版社の編集者であり、お父さんは彼がコペル君や、コペル君と同じような少年たちの心の支えとなる本を出版することを強く望んでいたのです。
叔父さんは、叔父さんで、勤めていた出版社が倒産してしまい、どうしたら義理のお兄さんであるコペル君のお父さんの想いを受け止められるのかを悩みながらも、コペル君にいつか手渡す日を思いながら、コペル君に伝えたいさまざまな事柄をノートに記していきます。
叔父さんの秘めた想いは知らずとも、コペル君は叔父さんの薫陶を受けつつ、ゆっくりと、しかし確実に大人への階段を登り始めます。叔父さんはコペル君を常に立派だと褒めますが、それは 中学生としては立派だ、という意味であり、大人になるにつれ、より立派にならなければいけない、という厳しい指導の意を含んでいます。
つまり甘やかしているのではなく、行くべき道を歩いていることを褒めていても、必ずしもゴールに辿り着いているわけではないことを、きちんと伝えているのです。
立派な大人とはなんだろう。立派になる、というシンプルな命題とは
ぼくは、本作を読みながら、ふとBOICHI先生の傑作劇画『オリジン』を思い出していました。
高度なAIを積みながらも感情はまだ持っていないロボット オリジンは、自分を設計した博士=父親が遺した「ちゃんと生きていくんだ」という言葉を頑なに守ろうとします。
それはオリジンの行動の全ての規範=根本原理でなのですが、ちゃんと生きていけ、という意味を、オリジンのAIはさまざまな解釈をして、シチュエーションに合わせて常に規範として行動をします。
これと同じで、コペル君のお父さんも、叔父さんも、コペル君を立派な大人にしよう、とするし、その薫陶を受けて育つコペル君もまた、立派な大人になろうとしますが、果たして立派な大人とはなにか、ということについては、何か特定の条件が先に記されているわけではありません。
金持ちになったとしてもそれを誇るな、とか、貧乏人を蔑むようなことはするな、とか、あるいは他人のためになるようなことをしようとか、ああ確かにそれは立派だよね、と思えるような行動の指針はありますが、立派な大人とは何か、という事に関しては、明確にこれ、というように書かれているわけではないのです。
この本が記されたのは1937年で、太平洋戦争前ですから、ある意味そんなことは説明しなくても、立派な大人、立派な人間=○○、のようなロールモデルや日本の社会全体が共通して想定できるような認識があったのかもしれませんが、お父さんも叔父さんも、そしてコペル君自身もコペル君のお母さんでさえも、こういう人間になろう、こんなふうに生きていこう、という方向にブレがないように思います。
叔父さんの言葉や、その言葉に込められたお父さんの遺志を、コペル君は正しく受け止めて、自分なりに解釈して、立派な大人になるために、一生懸命生きていこうとします。実はそんなコペル君にして、人生最大最悪の試練を受けることになるのですが、その試練を乗り越えようとする力を、コペル君は日々の暮らしの中で培っていく。その姿に、読者であるぼくたちは涙するのです。
ぼくは十分大人なのですが、それは単に年齢のことだけで、まだまだ立派じゃないな、と反省してしまいました。しかし、大人のぼくにして、よし立派になろう、と改めて思い直させてくれるところが、本書の素晴らしいところです。
何が立派なのか、は問題ではありません。21世紀になったいまでも、自分なりにそれを解釈して、立派に生きていこう、と思うことが大事、そんなふうに思わせてくれる。「君たちはどう生きるか」と問いかけられた以上、ぼくたちはどう生きるか、と自問自答しなければならない。そう思うのです。