やがて彼は最愛の娘を、わずか6歳で亡くす。そのときから彼の心は深く閉ざされ、信じられなくなった愛、止まった時間、そして死への憎しみだけが残るようになる。
愛、時間、そして死に手紙を出した男に、意外な来客が・・・
愛する娘を失くしたショックで生きる意欲を失ってしまった男、ハワード(ウィル・スミス)。3年前までは、新興広告代理店の経営者として急成長を支えていたはずの彼は、いまや深い喪失感のあまり、会社に来ては毎日ドミノを並べるだけの、生ける屍のようになっていた。
誰とも喋らず、交流せず、生産的なことは何もしようとしないうえ、「愛」「時間」「死」宛に手紙を出す始末だ。
彼の能力と人脈に依存していた会社は倒産の危機に陥り、共同経営者たちは会社の売却(M&A)を画策するが、ハワードは意思決定に加わろうともしない。業を煮やした共同経営者たちは、ハワードが心を病んだ、役員としての適正不適格者であることを証明することで、M&Aの成功を実現しようとする。
彼らがとった作戦とは、ハワードが手紙を書いた相手、つまり「愛」「時間」「死」を役者に演じさせ、ハワードと接触させることによって彼の狂気を記録しようというものだったが・・・・・
COLLATERAL BEAUTYという原題が意味するモノ
原題は「COLLATERAL BEAUTY」という。付帯的な美、と訳せるが、映画の中では”幸せのオマケ”と訳されていた。愛する人を失うことは辛く絶望的なことではあるが、自分が世界と繋がっていることを実感し、そのことを美しく想うチャンスが訪れることでもある、というメッセージだ。
ウィル・スミス演じるハワードは、自ら世界は愛と時間と死によって繋がっていると語るが、娘の死を受け入れることができず、その繋がりを否定するようになる。本作は、その彼が、やがて娘が遺していった”幸せのオマケ”を受け取るまでの心の軌跡を情緒的に描いている。
ウィル・スミス作品としては、興行成績はあまり振るわなかったらしいが、内容は実にハートフルで感動的な作品だ。観終わった後は心が洗われる気がするはずだ。
しかし経営者は、それでもタフでなければならない・・・
本題とは違うが、愛娘を失くすという最悪の苦痛によって、仕事への意欲も失ってしまう経営者の話、という見方をすると、会社を経営し、従業員の人生を預かる責務を持つ身としてはかなりやるせない話である。
どんな苦痛や衝撃を与えられたとしても、社員を路頭に迷わせるようなことはしたくない、精神的には非人間的と謗られようとも強くタフでありたいな、と思いながら観たことを告白しておこう。