長年勤めてきたテレビ局を辞めて、自由な生活を求めて、ほぼ廃墟化したカフェを借りて住み着いた松ちゃん。今日は、久しぶりに30年以上のつきあいの元代理店マン カッちゃんが訪ねてきたが、なぜか浮かぬ顔&松葉杖で・・・・。
Mr.Bike BGで大好評連載中の東本昌平先生作『雨はこれから』第21話「強がりは 旅の途中か」より
©東本昌平先生・モーターマガジン社 / デジタル編集 by 楠雅彦@ロレンス編集部

病み上がりの老人を襲った最悪の災厄・・・

カッちゃんこと伊藤勝治がやって来たのは、東京が梅雨明け宣言された日だった。

カッちゃんは71歳。昔は大手広告代理店で名を馳せた人物だが、若い頃のムチャが祟って、最近では病院の入退院をくりかえしている。テレビ局勤めだった私は、彼とは30年以上のつきあいだ。ハーレー乗りでもあったカッちゃんとは、いわばバイク仲間でもあり、公私ともによろしくやってきた仲だった。

画像: www.motormagazine.co.jp
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その日、私のドヤにたむろする若者たちと一緒に草刈りをしていた。カッちゃんを初めて見る若者たちに呼ばれ、私は来訪者の存在を知ったのだった。
スクーターでやって来たカッちゃんは、室内に自ら入り、スツールに座って私を待っていた。「ようカッちゃん、コーヒーでいいか?」と声をかけた私は、カウンターにかけられた松葉杖と、無造作に伸ばしたカッちゃんの左足の様子にすぐに気づいた。「ん!?どうした足?」

するとカッちゃんは「それがよ・・」と苦虫を嚙みつぶしたような表情で話し始めた。

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カッちゃんは入退院をくりかえしていたが、半年前に心臓の手術をしたという。
術後長く入院してようやく退院した彼は、なぜか愛車のハーレーのエンジンをかけてやろうと思い立ったのだという。「魔が差したっていうのかな」とカッちゃんは首を振った。

たまにはエンジンくらいかけてやろう、カッちゃんはそう思ったのだそうだ。自分が心臓を悪くした分、せめて愛車の元気のいい轟音と振動を聞いてみたいと考えたのかもしれない。ところがそれが、運の尽きだった。

画像2: 病み上がりの老人を襲った最悪の災厄・・・
画像3: 病み上がりの老人を襲った最悪の災厄・・・

カッちゃんは、退院してすぐはまともに歩けなかったそうだ。
そんな彼が慣れているとはいえ、ハーレーの巨体を無造作に扱おうとしたこと自体が間違いだったのだろう、車体を起こそうとした反動でハネたスタンドが変にからまり、なんと自分の左足の甲におろしてしまった。

200キロをはるかに超えるハーレーの車重がそのまま左足にかかり、倒れかかってくる巨体を両手で支えようとしたものの支えきれるはずもなく、左足の骨がミシミシと砕ける音を聞きながら、カッちゃんは虚しい努力を続けたそうだ。

画像4: 病み上がりの老人を襲った最悪の災厄・・・

旅の終わりは突然に

まさか愛馬に裏切られるとはね・・・と言いたげに、カッちゃんは目の前に出されたコーヒーに視線を落とした。

慰める言葉が見つからない私は黙ったまま、うなだれるカッちゃんを見つめるしかなかった。

「松っちゃんさあ・・・」ほどなくしてカッちゃんは口を開いた。「俺のハーレー引き取ってくれんかね」

その言葉を口にするために、彼は今日私に会いに来たのだろう。バイク乗りにとって、バイクに乗り始めるということは旅のはじまりのようなものだが、長年乗り続けた愛馬を手放すということは、その旅を終える、ということを意味する。

旅を始めることは簡単で、その終わりは突然くる。そしてその終わりを受け入れることはとても難しい。カッちゃんが旅の終わりを受け入れるまでに、どのくらいの逡巡の時を過ごしたのかはわからないが、その言葉を伝える相手として、カッちゃんは私を選んだことは重く受け止めなければならない、そう思った。

画像1: 旅の終わりは突然に
画像2: 旅の終わりは突然に

何日かして、私はカッちゃんのハーレーを引き取りに向かった。
少しくたびれてはいるけれど、持ち主さえ元気ならまだまだ旅を続けられるし続けたい。ハーレーからはそんな訴えを聞いた気がした。

車の荷台にハーレーを固定し、カッちゃんとその老母に挨拶をして、私はその場をあとにした。細く狭い住宅街のゆるやかな坂道を、私は少しゆっくりと車を走らせた。バックミラーに映るカッちゃんは、松葉杖に体を預けながら、右腕を高くあげて、いつまでもいつまでも手を振っていた。

私に、ではない。
荷台のハーレーに、カッちゃんは別れを告げていた。それはただのバイクではない、30年以上前に知り合った、カッちゃんの青春そのものなのだった。

画像3: 旅の終わりは突然に
画像4: 旅の終わりは突然に

(第22話に続く)

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