"コカ·コーラ"鈴鹿8耐の歴史のなかで、多くの人々の記憶のなかに残るマシンたちを紹介する連載です。今回はヤマハとしてはワークスに近い体制で初めて参戦した、1984年大会で活躍したXJ750です!

最後は「マシンを押して」ゴール!!

750cc上限のTT-F1規格で初開催された1984年大会は、スズキとカワサキがワークス活動を休止したこともあり、1~3位までをホンダRS750Rが独占する結果になりました。

この年のもうひとつのトピックは、これまで耐久レースからは一歩引いていたヤマハが、初めてワークスに近い体制で、上野真一/河崎裕之にXJ750をベースにしたマシンで参戦したことでした。

画像: 「シャケさん」の愛称で親しまれる河崎裕之が駆るヤマハXJ750。スタンダード車のシャフトドライブ駆動はロードレースには不利という判断から、チェーン駆動に改造されていました。 オートバイ/モーターマガジン社

「シャケさん」の愛称で親しまれる河崎裕之が駆るヤマハXJ750。スタンダード車のシャフトドライブ駆動はロードレースには不利という判断から、チェーン駆動に改造されていました。 オートバイ/モーターマガジン社

上野/河崎組は周回を重ねていましたが、なんと残り10分でエンジンが壊れてしまい、ゴールの手前でストップしてしまいました。しかし、これにて万事休す・・・とはならず、首位のマイク・ボールドウィン/フレッド・マーケル組(ホンダ)がゴールラインを通過した後、マシンを押してなんとかチェッカーを受けることに成功しました。

首位の191周に対し、この年のヤマハXJ750が残したリザルトは5位・182周というものでした。そして翌1985年からは、ヤマハは鈴鹿8耐に本格ワークス参戦し、今日まで数々の栄光の記録を残すことになりました。

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.