今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この日本一のビッグレースには、数多くの世界ロードレースGP(現MotoGP)王者が参戦しました。8耐を走ったGPチャンピオンを紹介する連載。今回は史上初の世界ロードレースGPで250&500ccダブルタイトルを獲得した天才、フレディ・スペンサーです!

鈴鹿8耐デビューは1980年!

1983年にヤマハのケニー・ロバーツと熾烈なタイトル争いを展開し、見事ホンダに初のグランプリ最高峰の個人タイトルをもたらし、1985年には誰もなし得なかった500ccと250ccのダブルタイトルを獲得したフレディ・スペンサーは、1980年(第3回大会)が初の鈴鹿8耐チャレンジでした。

くしくも、AMAロードレースでも世界ロードレースGPでも、強力なライバルだったエディ・ローソンと同じ年に鈴鹿8耐初参戦したスペンサーですが、この時のマシンはワークスのホンダRS1000。パートナーはGPライダーのバージニオ・フェラーリでした。

予選は11位。そして決勝ではマシントラブルでリタイア・・・。ローソンが2位の好成績を残したのとは対照的に、スペンサーの初の8耐は残念な結果に終わっています。

画像: 1980年、鈴鹿8耐初参加したときのフレディ・スペンサー。当時まだ18歳!のヤングライダーでしたが、ファスト・フレディとの呼び名どおりの速さを、すでに様々なカテゴリーで多くの人たちに見せつけていました。 オートバイ/モーターマガジン社

1980年、鈴鹿8耐初参加したときのフレディ・スペンサー。当時まだ18歳!のヤングライダーでしたが、ファスト・フレディとの呼び名どおりの速さを、すでに様々なカテゴリーで多くの人たちに見せつけていました。 オートバイ/モーターマガジン社

鈴鹿8耐で最高の成績は4位でした

次にスペンサーが鈴鹿8耐に参戦したのは、1980年から12年後の1994年(第15回大会)でした。ミスタードーナッツオクムラホンダから、鶴田竜二と組んでホンダRVF750で出場したスペンサーは予選で3番手。決勝では優勝のワイン・ガードナー/ダリル・ビーティー組に4周遅れの4位というリザルトを残しました。

画像: 前年型のホンダRVF750ながら、最新ワークスマシンにひけをとらない走りを披露したスペンサーを見て、多くの人は改めて、彼の天才ぶりを再認識したのでした。 オートバイ/モーターマガジン社

前年型のホンダRVF750ながら、最新ワークスマシンにひけをとらない走りを披露したスペンサーを見て、多くの人は改めて、彼の天才ぶりを再認識したのでした。 オートバイ/モーターマガジン社

1989年を最後に世界ロードレースGP500ccクラスから退いていたスペンサーですが、ワークスモデルとはいえ型落ちのRVF750で披露した1992年鈴鹿8耐の走りは、多くの観衆を驚かせるほど輝いていました。今でも多くの人が、GP史上最高の天才ライダーとして彼の名前をあげますが、GPにおける全盛期は1983〜1985年と短いものでした。

他のライダーではなく、「自身のモチベーション」が最大の敵、という天才ゆえの苦悩を克服できなかったことが、スペンサーのGP全盛期を短くした・・・と評する人は多いです。ともあれ、スペンサーの最高のリザルトは1992年の4位、という事実のみが鈴鹿8耐の歴史には刻まれています。

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