AMAで活躍、そして世界GPへ・・・という時代
世界スーパーバイク選手権=SBKが成立した時期の1980年代末くらいから、公道市販車ベースのロードレースマシンは、戦闘力の高さを考慮したホモロゲーションモデル中心になっていきました。それまでの時代は、ロードスポーツ改・・・って感じで、明らかにそれ以降とは雰囲気が異なります。
特に1,000ccのストリートバイクをベースとしていた初期のスーパーバイクマシンは、迫力あるスタイリングから今でもカスタムのテーマとなるなど、根強いファンがいますね。そんな時代にアメリカのAMAスーパーバイクで活躍し、その後に世界ロードレースGPへ羽ばたいたのが、エディ・ローソンとフレディ・スペンサーです。
画質はイマイチですが、迫力は伝わってきます!
AMAスーパーバイクでホンダがファクトリー活動を始めるとき、スペンサーは若手ながらエースとしての活躍を期待されてました。その期待に応えて、スペンサーは幾多の勝利を手中におさめていますが、結局ホンダファクトリーとしては1,000cc時代のスーパーバイクタイトルは当時取ることができませんでした。
資本力のあるホンダでも勝てない・・・というところも、初期のスーパーバイクの面白いところでもありますが、大メーカーのホンダが参戦したことによってAMAスーパーバイクの注目度が加速的にアップしたことも事実で、その貢献度はかなり大きいものでした。
1980年はウェス・クーリー(スズキ)、1981、1982年はカワサキのローソン、1983年はマシンが750ccまで・・・となり、カワサキのエースとなったウェイン・レイニーがホンダV4勢を下してAMAスーパーバイクのタイトルをとっています。1983年は世界ロードレースGP500クラスで、スペンサー(ホンダ)とケニー・ロバーツ(ヤマハ)が歴史に残る熾烈なタイトル争いの末、スペンサーが初タイトルを獲得した年でした。
アメリカンライダーが大活躍した時代・・・1980年代のロードレースシーンを切り取ったビデオをお楽しみください。