高校生役のエマ・ストーンの壊れそうなほど切なく繊細な演技も見所。
大人になりきれない中年男が初めて出会う"生身の人間"は、17歳の少女だった
主人公のリチャードにとって、キャプテン・エクセレントは、常になんでも相談できる大切な友達だ。しかし、キャプテン・エクセレントがいるがゆえに、リチャードは自分の世界に閉じこもり、外界に本当の自分をさらけ出したり、誰かに胸襟を開いて打ち解け合うということができずにいる。
ある意味病んでいると言えるし、自分のことを心配してくれているはずの妻に対しても、良い夫であろうという演技というか振る舞いを続けていて、本音をぶつけることはしない。結局のところ他者と真摯に向き合うことをしないのだ。キャプテン・エクセレントという姿をとってはいるものの、妄想または幻覚にとりつかれているパラノイアなのである。
そして、2作目の創作に苦しむスランプを解消するために妻が手配した田舎町にやってきたリチャードは、一人の少し変わった少女アビーに出会う。彼女もまたリチャードと同じように、自分に都合がいい空想の男友達を連れていた。ろくでもない男と交際してはいるものの、都合のいい女扱いを受けて傷つくたびに、空想の彼が彼女を口説く。つまり彼女も少し病んでいる。
病んでいると言っても別に本当の病気なわけじゃない、ただ少し心が風邪を引いていて、寝込むまでもないけれども、自分を自分で励まさないと立っていられないだけなのだ。二人の出会いは単なる偶然だったが、必然であるかのように惹かれ合う。男と女というのではもちろんない、魂と魂の出会いだった。
リチャードは、アビーが作ったスープに感動する。彼女は残り物から作った、と言うが、彼は彼女が"無から創造した"ことに感激し、その味も絶賛する。それ以来、週に一度 アビーは彼の元に来てはスープを作るようになり、二人は年齢差を越えた友情を育み出すのだ。
孤独に向き合い、人生に立ち向かう勇気をもらえる優しい映画
本作は、ライアン・レイノルズ扮するキャプテン・エクセレントのスーパーマン的なコスチュームや、そのコミカルな演技から、コメディ映画のように受け止められるかもしれないが、実は大人になりきれない中年男が、ようやく殻から出て人生に真剣に向き合うようになる、そのプロセスを描く、なかなかにシリアスな話なのだ。
世界は、若い頃に思っていたほど輝いてもないし甘くもない。しかしそれに向き合わなければいつまでも苦くつらいことばかりだ。
それは真実だが、リチャードはアビーを通じて、若くても同じようにザラついた現実にさらされていることを知る。若くても老いても同じなら、殻から出て、一人で人生に向き合わなければならない、いや今すぐ一歩踏み出そうと決意するのだ。
本作は2009年の製作だが、日本では公開されず、2016年になってDVDとして発売されることになった。ライアン主演の『デッドプール』がヒットした副作用(ヒーローつながり?)と言えるかもしれない。
しかし、そんな申し訳程度の経緯であってはならない、真に敬意を示すべき、実にいい映画だ。