世界最高峰の戦いを演じたライダーたち。その中でも目映いばかりの光を放ち、僕たちを魅了して止まなかった伝説のライダーがいる。ここでは、そんなレジェンド・ライダーと世界で活躍した日本人ライダーに焦点を当ててその栄光の軌跡を辿っていきたいと思います。

モリワキで頭角を現すと一直線に世界グランプリへ

画像1: (Racing オートバイ MotoGP GRAPHICS 2016©モーターマガジン社) www.motormagazine.co.jp

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1960年、鹿児島県生まれ。高校を卒業後レースのために鈴鹿に移り住み、1982年ロードレースにデビュー、当初はプライベーターとして250ccレーサーを駆っていた。1983年にモリワキに加入すると大パワーの4ストマシンで頭角を現し、1984年にはホンダCBX750Fのエンジンを搭載するモリワキZERO-X7で全日本ロードレースのTT-F1クラス初代チャンピオンを獲得、一躍トップライダーの仲間入りを果たす。1985年も引き続き全日本TT-F1クラスにモリワキから参戦、RVF、GSX-R、FZRといった最新マシンたちを相手に非力な空冷直4のZERO-X7で立ち向かい、ヨシムラの辻本聡、HRCの徳野政樹に続くランキング3位に食い込んで見せた。

WGP成績

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1986 WGP500 HONDA NSR500 13 位
1987 WGP500 HONDA NSR500 9 位
1988 WGP500 HONDA NSR500 13 位
1989 WGP500 HONDA NSR500 41 位

1986年世界GP500ccクラスにロスマンズ・ホンダのエースとして参戦していた、フレディ・スペンサーの代役に抜擢されオーストリアGPで世界GPデビューを飾り活躍を見せた八代のレーシングライダーとしての始まりは、新聞の三行広告でテストライダーの募集を発見した所からスタートします。そこから1987年、ロスマンズ・ホンダからワイン・ガードナーのチームメイトとして世界GPにフルエントリーするまでに登り詰めた実力、そして豊富なレース経験を活かして現在は2輪ジャーナリストとして活動をしています。

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