デイトナ200は、言わずと知れたアメリカの伝統あるレースです。バンクのあるスピードウェイでの高速バトルが人気のデイトナ200ですが、黎明期はビーチの砂の上で参加者たちはスピードを競っていたのです。

第二次世界大戦前後の時代のデイトナビーチ

デイトナ200マイルが初開催されたのは1937年。コースは海に至近のビーチに設けられ、3.2マイル (約5.1km)の周回になっていました。そして1948年からは、4.1マイル(約6.6 km) にレイアウトが変更されています。

画像: 1939年デイトナ。このころは、参加車両はハーレーダビッドソンとインディアンが主でした。戦後になると、英国製のスポーツモデル対アメリカ車という構図が描かれるようになります。 www.youtube.com

1939年デイトナ。このころは、参加車両はハーレーダビッドソンとインディアンが主でした。戦後になると、英国製のスポーツモデル対アメリカ車という構図が描かれるようになります。

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画像: 波打ち際を走るマシンたち。スピードウェイの高速戦もスリリングですが、これはこれで、見てみたいなぁと思わせます。なお1942年から1946年の間は、戦争のためデイトナ200マイルは中断されています。 www.youtube.com

波打ち際を走るマシンたち。スピードウェイの高速戦もスリリングですが、これはこれで、見てみたいなぁと思わせます。なお1942年から1946年の間は、戦争のためデイトナ200マイルは中断されています。

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画像: ゴール! 1939年のウィナーは、ベン・キャンパネール(ハーレーダビッドソン)。前年度に続いての2連覇でした。 www.youtube.com

ゴール! 1939年のウィナーは、ベン・キャンパネール(ハーレーダビッドソン)。前年度に続いての2連覇でした。

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1961年から、舞台はスピードウェイへ・・・

デイトナ200のインディアン対ハーレーの戦いに、最初に割って入った外国車は英国のノートンでした。サイドバルブ式750cc・Vツインのアメリカ勢に対し、ノートンはオーバーヘッド・カムシャフトの500cc。排気量は少ないですが、優れたパワー特性とハンドリングを武器に、ノートンは1940〜1950年の間で、5勝を記録しています。

画像: 1950年は、マンクス・ノートンが"スィープ"(表彰台独占)を達成したレースでした。ウィナーはカナダ人のビル・マシューズ(左)。彼は1941年のデイトナ200も、ノートンに乗って勝っています。 2.bp.blogspot.com

1950年は、マンクス・ノートンが"スィープ"(表彰台独占)を達成したレースでした。ウィナーはカナダ人のビル・マシューズ(左)。彼は1941年のデイトナ200も、ノートンに乗って勝っています。

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1960年大会を最後にデイトナ200マイルはビーチから、舗装されたスピードウェイに舞台を移すことになります。こちらの動画は、古き良き時代のデイトナ200マイル(1939年)をおさめたものです。短い動画ですが、ぜひご覧になってください。

画像: Motorcycle Race On Sands (1939) youtu.be

Motorcycle Race On Sands (1939)

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