第二次世界大戦前後の時代のデイトナビーチ
デイトナ200マイルが初開催されたのは1937年。コースは海に至近のビーチに設けられ、3.2マイル (約5.1km)の周回になっていました。そして1948年からは、4.1マイル(約6.6 km) にレイアウトが変更されています。
![画像: 1939年デイトナ。このころは、参加車両はハーレーダビッドソンとインディアンが主でした。戦後になると、英国製のスポーツモデル対アメリカ車という構図が描かれるようになります。 www.youtube.com](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16781465/rc/2016/10/11/167d32b1655373597d71a6686af4ecf1741e0a90_xlarge.jpg)
1939年デイトナ。このころは、参加車両はハーレーダビッドソンとインディアンが主でした。戦後になると、英国製のスポーツモデル対アメリカ車という構図が描かれるようになります。
www.youtube.com![画像: 波打ち際を走るマシンたち。スピードウェイの高速戦もスリリングですが、これはこれで、見てみたいなぁと思わせます。なお1942年から1946年の間は、戦争のためデイトナ200マイルは中断されています。 www.youtube.com](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16781465/rc/2016/10/11/eed38a4e71d6ac2227c1d9e13afacd71ea7c8b5c_xlarge.jpg)
波打ち際を走るマシンたち。スピードウェイの高速戦もスリリングですが、これはこれで、見てみたいなぁと思わせます。なお1942年から1946年の間は、戦争のためデイトナ200マイルは中断されています。
www.youtube.com![画像: ゴール! 1939年のウィナーは、ベン・キャンパネール(ハーレーダビッドソン)。前年度に続いての2連覇でした。 www.youtube.com](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16781465/rc/2016/10/11/5115be6202e76ab9ecae5e62a8d407c92caa0be9_xlarge.jpg)
ゴール! 1939年のウィナーは、ベン・キャンパネール(ハーレーダビッドソン)。前年度に続いての2連覇でした。
www.youtube.com1961年から、舞台はスピードウェイへ・・・
デイトナ200のインディアン対ハーレーの戦いに、最初に割って入った外国車は英国のノートンでした。サイドバルブ式750cc・Vツインのアメリカ勢に対し、ノートンはオーバーヘッド・カムシャフトの500cc。排気量は少ないですが、優れたパワー特性とハンドリングを武器に、ノートンは1940〜1950年の間で、5勝を記録しています。
![画像: 1950年は、マンクス・ノートンが"スィープ"(表彰台独占)を達成したレースでした。ウィナーはカナダ人のビル・マシューズ(左)。彼は1941年のデイトナ200も、ノートンに乗って勝っています。 2.bp.blogspot.com](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16781465/rc/2016/10/11/e23102461764268a11d25323cd4ea3975541f9a2_xlarge.jpg)
1950年は、マンクス・ノートンが"スィープ"(表彰台独占)を達成したレースでした。ウィナーはカナダ人のビル・マシューズ(左)。彼は1941年のデイトナ200も、ノートンに乗って勝っています。
2.bp.blogspot.com1960年大会を最後にデイトナ200マイルはビーチから、舗装されたスピードウェイに舞台を移すことになります。こちらの動画は、古き良き時代のデイトナ200マイル(1939年)をおさめたものです。短い動画ですが、ぜひご覧になってください。
Motorcycle Race On Sands (1939)
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