(名車の記憶 日産スカイラインGT-R I 【BNR32編】©モーターマガジン社)
ユニシア ジェックス スカイライン('93全日本ツーリングカー選手権仕様)
BMW635CSiやフォード・シエラコスワースRS500という強力なライバルに対して日産はR30スカイラインRSターボで戦っていたが、パワー不足は否めずR31スカイラインGTS-Rをデビューさせた。このR31スカイラインGTS-Rは続いてデビューするR32スカイラインGT-Rのためのデータ取りが目的という特殊な生い立ちを持っていた。
ベースとなるR31スカイラインGTSに対してレギュレーションで交換不可能なインタークーラーとターボチャージャー、リアスポイラー、フロントスポイラーをレースで実際に使うものに交換しエボリューションモデルとして市販したのがスカイラインGTS-Rで、この時のデータで最大のライバル、フォード・シエラコスワースRS500を破るために必要なエンジンスペックと空力特性、マシンディメンションなどを解析。すべてのデータがフィードバックされて登場したのがR32スカイラインGT-Rだった。
R32スカイラインGT-Rの2568㏄という中途半端な排気量。これは、レギュレーションで定められた排気量と最低重量の関係からもっとも有利となる1260㎏の最低重量となるように2600㏄以下をチョイスした為だそう。このように、タービンやサスペンションなど全てをグループAで勝てる仕様に変更し、勝つための基本スペックを詰め込んだ市販車、R32スカイラインGT-Rとして登場させたのです。
グループAでは、ニスモとホシノレーシング、ハセミモータースポーツの3チームにチーム・タイサン、オブジェクトTが日産工機チューンのエンジンを搭載し、HKSとFETは独自にチューニングしたエンジンで戦っていた。
今だから語れる話だが、日産工機がチューニングするエンジンはすべて同一コンディションとされ、レースの度に抽選をして搭載するエンジンを選んでいた。だからこそ、各チーム間の差はタイヤ選択とドライバーコンビネーション、レースでのピットワークといったいわゆるレース戦略の違いで現れることになった。
そんなイコールコンディションの中でハセミモータースポーツはダンロップタイヤを履き、ブリヂストン勢を相手に孤軍奮闘!ピットワークを短時間で収めたり、ピットインのタイミングをライバルと違えるなど、様々な工夫を凝らして91年、92年と連続チャンピオンを獲得したのです。