90年代後半を支配したNSR500 の申し子
オーストラリア生まれのドゥーハンは、88年まではスーパーバイクレースを中心とした活動をしていて、世界GPにデビューしたのは89年のこと。当時ロスマンズ・ホンダで500ccクラスのトップライダーとなっていた、同じくオーストラリア出身のワイン・ガードナーのセカンドライダーとしてだった。初勝利は翌90年のハンガリーGPで記録してランキング3位、91年も3勝してランキング2位に躍進。ウェイン・レイニー、ケビン・シュワンツらと肩を並べる速さを身につけ、押しも押されもせぬホンダのエースとなった92年には、同爆エンジン搭載のNSRで前半7戦中5勝という圧倒的なスピードを発揮しながら、第8戦オランダGP予選で右足を負傷。第11戦イギリスGPまでの4戦を欠場、これが響いてレイニーに逆転タイトルを持って行かれる。そして93年も、後遺症が残り精彩を欠くことになった。しかし、その傷が癒えた94年からは、冒頭にも述べたようにドゥーハンの黄金時代が始まることになる。
90年代後半のWGP500で、レプソル・カラーのホンダNSR500を駆り、多くの連勝記録を塗り替えた伝説のライダー”ミック・ドゥーハン”。自ら開発を進めたNSRでどのライダーをも寄せ付けない無敵の速さを誇りました。
WGP成績
1989 WGP500 HONDA NSR500 9 位
1990 WGP500 HONDA NSR500 3 位
1991 WGP500 HONDA NSR500 2 位
1992 WGP500 HONDA NSR500 2 位
1993 WGP500 HONDA NSR500 4 位
1994 WGP500 HONDA NSR500 チャンピオン
1995 WGP500 HONDA NSR500 チャンピオン
1996 WGP500 HONDA NSR500 チャンピオン
1997 WGP500 HONDA NSR500 チャンピオン
1998 WGP500 HONDA NSR500 チャンピオン
1999 WGP500 HONDA NSR500 17 位
6連覇のかかった99年、第3戦のスペインGPでの転倒による負傷の為そのまま引退を余儀なくされてしまったドゥーハン。あのクラッシュが無ければ、6連覇を成し遂げていたのでしょうか。そんな無念すぎる突然の引退後も多くの人々の憧れであり続けているのです。