東急 東横線(または目黒線)で横浜方面に向かい、新丸子駅に向かって多摩川を渡っていくと、川崎側の多摩川土手にコンクリートのスタンドがズラリと並んでいるのが見える。
「花火大会用のスタンド?」と思われている人が多いかもしれないが、これは多摩川スピードウェイの観客席跡なのだ。

いまから80年前の1936年、日本初・アジア初の常設サーキットとして多摩川スピードウェイが川崎市の多摩川河川敷に開場した。1周約1200mのダート楕円コース。1938年まで、本格的な自動車レースの「全日本自動車競走大会」も開催され、3万人もの観衆が集まったという。
このレースには若き日の本田宗一郎氏も出走し、大クラッシュを起こした。一歩まちがえれば、日本のモータースポーツ史はおろか自動車史まで大きく変わっていた、というわけだ。

画像: カーチス号(左)とブガッティの後ろに見えるのが、コンクリートの観客席跡だ。

カーチス号(左)とブガッティの後ろに見えるのが、コンクリートの観客席跡だ。

その後、戦争の激化でレースは開催されず、戦後には廃止されてしまった。
現在、サーキットの跡はグラウンドになっているが、観客席は前述のように遺構として残っている。
跡地保存と日本のモータースポーツ黎明期の歴史的意義・情報発信を目的として「多摩川スピードウェイの会」が創設され、サーキット開場80周年を記念したプレートが観客席跡地に設置された。
除幕式には80年前にサーキットを実際に走った1924年式カーチス号(ドライバーは本田宗一郎氏)と1926年式ブガッティT35Cも展示された。

観客席跡地に設置された記念プレート。当時の写真入りだ。

多摩川のスタンド跡に佇んでいると、今はグラウンドとなってしまったサーキットを疾走するマシンの姿を見たくなるのは、クルマ好き、レース好きの性(さが)だろうか。

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