海外のオークションでも価格高騰中。日本を代表する名車について筆者の経験や思うことを好き勝手に書きます(所有は在米中なので情報もアメリカ寄りです)

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簡単に私のZ歴を説明すると、まずは1台目となるs130型Zについて。

アメリカに留学して、半年で中部から西海岸に引っ越し。念願の大学に入り最初のドタバタも落ち着いたところでやっと子供の頃からの夢だった免許を取得。さあ次は車!

当時(2000年ごろ)はネットでの売買情報も出始め、紙媒体で主力だったフリーペーパー(auto trader)と合わせて情報収集。生活費を切り詰めながらなんとか作った$1000を元手にクルマ探し。

もちろん欲しいのは速い車! でも修理にお金をかける余裕もないし、保険だって年間にそれなりの金額になる。贅沢は言うつもりはなく、メーカーも年式もモデルも決めることなく幅広く($1000以下で)探していたら出てきたのがs130型フェアレディーZ(アメリカでは280zx)。2.8Lエンジンに5速マニュアルで$1000、しかも年式が自分と同じ79年式。テストドライブすると調子は悪くなさそう(初めての購入なので実際たいしたチェックもしなかったけど今思い返しても大当たりの選択だったと思います)。

画像: 当時の自分と愛車280ZX カリフォルニア州ロングビーチのHolidayInnで

当時の自分と愛車280ZX カリフォルニア州ロングビーチのHolidayInnで

唯一、気に食わなかったのが色。茶色とおっさんカラー。それでも値段は安いし、エンジンもパワーあって、マニュアル、しかも2+2の4人乗り。色は後で塗ってしまえということで購入。

純正のそこそこ綺麗な茶色の上からスプレーで下地を塗って、さらに上からメタリックのブルーをまたまたスプレーで塗る。風の強い日でかなりひどい出来の塗装でしたが、まあ個性が出たということでそのまま乗り続けました(塗装を手伝ってくれた友人は今でも覚えていてくれます)

サスペンションがスカスカで加速で思いっきりリアが沈んでましたが、それでも初めての車。しかもZ!毎日走り回りました。

初めてデスビキャップを交換したら点火順序なんか知らなくて「調子悪くなった〜!!」なんて大騒ぎしてました。おかげで今でも1-5-3-6-2-4は忘れていません。

丈夫なL型は大きなトラブルもなく1年を乗り回したところで、ガス検に通らなくて手放すことに。その間に手を加えたのはオイル交換と砲弾型マフラーぐらい(1回だけ事故られて左前のフェンダー交換。結局そこだけ茶色に戻った笑)。

売りに出したところ、アリゾナの同い年ぐらいの子が気に入って乗って帰りました(確か$500ぐらいで売った)。こうしてわが最初の愛車Zはアリゾナへと旅立ちました

Mr.K こと片山豊氏

米国日産の社長であった片山豊氏が指揮をとって北米での展開を目的に開発されたスポーツカーシリーズがフェアレディZ(アメリカ名240Z)。軽量モノコックに四輪独立懸架サスペンション、頑丈なL型6気筒エンジンを積み、当時のライバルとしたポルシェやジャガーにも劣らない性能を発揮。価格面でも安価に設定することで北米で大人気に。”プアマンズ・ポルシェ”(貧乏人のポルシェ)などと揶揄されるも爆発的に売り上げを伸ばし、スポーツカーとしての地位を確立した車両です。

画像: Mr.Kの愛称でアメリカのファンにも親しまれた片山氏 アメリカのZカーショーで www.nissan-global.com

Mr.Kの愛称でアメリカのファンにも親しまれた片山氏 アメリカのZカーショーで

www.nissan-global.com

片山氏はインタビューでこのように答えていらっしゃいます

「スポーツカーっていうのは別に、豪華である必要はない。誰でも手に入れることができて、気軽にメインテナンスできる。そして、あまりお金をかけずに楽しむことができる。スポーツカーに5万ドルのプライスタグをつけるのは、僕にとってはちょっと不自然です。装備を増やせばいくらでもそうなるワケで。そうじゃなくて、なんにもつけないで、よく走れば、これほど楽しいことはないでしょ?
それが証拠に、馬には鞍だけあればいいんですから(笑)」

実際に車両のエンジンルームを見て頂ければ納得がいきます。長く広いフロントのエンジンルームは初期のキャブモデルだとスカスカです。

画像: SUツインキャブが奥に、手前にはスターターとオイルフィルターとジェネレーターのみ! bringatrailer.com

SUツインキャブが奥に、手前にはスターターとオイルフィルターとジェネレーターのみ! 

bringatrailer.com

この広さだとなんでも入ります。アメリカだとこの広さを使ってショートブロークのV8にスワップするのが主流です。日本だとRB26載せたり、SR20DETT載せたりしていますね。それぞれの国にある手頃なエンジンに載せ換えてパワーアップ!こういった気軽さがDIYを好むアメリカでも受けた理由の一つだと思います。

初代となるs30/s31型は世界累計55万台とスポーツカーらしからぬ販売台数を達成。今でも程度の良い個体が見つかるのはこのおかげですね。特にカリフォルニア州内陸、アリゾナ州は乾燥しているので程度の良い中古車が出てきます。

Zの生みの親、片山氏は2015年に関係者、ファンから惜しまれながら他界。今でも楽しめる車両を世に送り出してくれたことに感謝です。

レースな初代Zたち

スポーツカーとして登場したs30は各国でレースシーンにその姿を見せます。
主力のマーケットであるアメリカではSCCA(スポーツ・カー・クラブ・オブ・アメリカ)シリーズでBRE 240zが70,71年とチャンピオンになります。

画像: #46 ドライバーはジョン・モートン www.wired.com

#46 ドライバーはジョン・モートン

www.wired.com

BREはBrock Racing Enterprisesの略で、デザイナーであるPeter Brock氏が創設者。

1960年代には当時アメリカでも全く知られていなかった日野のコンテッサでMiniを相手に奮闘。優勝も手にしています。

その後はサムライGTと呼ばれるモデルを日野のためにデザイン。日野を買収したトヨタの2000GTを使ったレース活動の契約を模索しますが、それ以上に進むことにはなりませんでした。

画像: Hino Samurai GT - 富士スピードウェイで走行したようです。 bre2.net

Hino Samurai GT - 富士スピードウェイで走行したようです。

bre2.net

トヨタとの契約が進まない間に話が出てきたのが日産のフェアレディ2000(米名:DATSUN 2000)を使ってのレース活動でした。

内密に日本から送られた2台のフェアレディ2000を受け取ったBREはレース仕様に改造。1968年のSCCAに現れます。優勝の結果を聞きつけた北米日産社長の片山氏が全面協力を決め、DATSUNは3年連続でシリーズタイトルを獲得しました。

DATSUN以外にも色々なメーカーや、車両のデザインを手がけたBREですが、未だにZとのつながりが印象深いです。

2010年には日産がBREへの感謝の意味を込めてBRE 370zを製作。Brock氏へと紹介しました。

画像: bre2.net
bre2.net
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