戦前から世界最高峰のロードレースの舞台として使われてきたマン島TTコースは、1970年代になると安全性の問題が年々クローズアップされるようになり、ついに1976年を限りに世界ロードレースGPのカレンダーから外されることになりました。

史上初の、英本国でのグランプリ開催。

そして1977年の英国GPは、マン島の代わりにシルバーストーンで8月14日に開催されることになりました。なお当時の最高峰500ccクラスは、市販レーサーとファクトリー車のスズキRG軍団が大活躍しており、数台のヤマハ勢が唯一の対抗勢力という状況でした。

画像: 引退していたM.ヘイルウッドも来場。英国の英雄ですから、当然サイン攻めにあっています。 www.youtube.com

引退していたM.ヘイルウッドも来場。英国の英雄ですから、当然サイン攻めにあっています。

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画像: J.チェコット(ヤマハ)と談笑するB.シーン(スズキ)。1976、1977年の500ccクラス王者です。 www.youtube.com

J.チェコット(ヤマハ)と談笑するB.シーン(スズキ)。1976、1977年の500ccクラス王者です。

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画像: 押しがけの態勢で、スタートを待つS.ベーカー(ヤマハ)。スズキのP.ヘネンとともに、「K.ロバーツ時代」到来前の1970年代半ば、アメリカン・インベーション(アメリカ人によるGP最高峰クラスの侵略)の尖兵として活躍したライダーです。 www.youtube.com

押しがけの態勢で、スタートを待つS.ベーカー(ヤマハ)。スズキのP.ヘネンとともに、「K.ロバーツ時代」到来前の1970年代半ば、アメリカン・インベーション(アメリカ人によるGP最高峰クラスの侵略)の尖兵として活躍したライダーです。

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画像: 押しがけスタート! 静寂と爆音のコントラストが、この時代のGPの美しさのひとつでした。 www.youtube.com

押しがけスタート! 静寂と爆音のコントラストが、この時代のGPの美しさのひとつでした。

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画像: 序盤はオランダのW.ハートフ(スズキ)がレースをリード! しかし、なかなかこのレースの展開はドラマティックなので、このまますんなり終わりはしませんでした・・・。 www.youtube.com

序盤はオランダのW.ハートフ(スズキ)がレースをリード! しかし、なかなかこのレースの展開はドラマティックなので、このまますんなり終わりはしませんでした・・・。

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画像: 前年の1976年フィンランドGPで、アメリカ人として初めてGPに勝利したP.ヘネン(スズキ)の走り! www.youtube.com

前年の1976年フィンランドGPで、アメリカ人として初めてGPに勝利したP.ヘネン(スズキ)の走り!

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さて、初の英本土のGPの勝者は? 結末は動画でご確認を!

28周の決勝レース、序盤はW.ハートフ、J.ウィリアムス、P.ヘネン、S.パリッシュのスズキ勢がレースをリード・・・英国のヒーロー、B.シーン(スズキ)は6番手を走行します・・・。

この後レースはさまざまなアクシデントが発生・・・。ドキドキするドラマが展開されることになります。記念すべき初の英本土でのGP500ccクラスを制するものは誰か・・・動画をチェックしてください!

画像: MotoGP British GP Silverstone 1977 (motorcycles) - Sheene Hennen Cecotto Baker youtu.be

MotoGP British GP Silverstone 1977 (motorcycles) - Sheene Hennen Cecotto Baker

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