1988年 NeXT Cube
1998年 iMac。
世界を変えようとした男、宇宙をへこませようとした男、スティーブ・ジョブズ。その彼の3つの新製品発表会の本番開始40分前の舞台裏にフォーカスすることで、ジョブズの生き様を描き出し、彼の真実を炙り出そうとした意欲作。
3つの<舞台裏>の人間模様に絞り込むことでスティーブ・ジョブズを描き出そうとする新しい試み
前述のように、本作は1984年のMac発表、1988年のNeXT Cube発表、1998年のiMac発表という伝説的なプレゼンの開始 40分前の、スティーブ・ジョブズと その仲間や友人、家族らとの姿を描いている。
華やかで綿密な計算で成立する舞台の裏側を、ドタバタや、ジョブズをとりまくギスギスとした人間関係を、執拗に描くことで、ジョブズの心模様を浮かび上がらせようという試みらしい。
この映画では、ジョブズがなぜ凄いのか、あるいはジョブズが作り出した製品や世界観がどのようなものなのかについては、ほとんど触れていない。ジョブズの伝記映画のはずなのに、ジョブズの良さがまったくといいほど描かれていない笑。
人を罵倒したり、恫喝したり、巧みに言いくるめようとするジョブズの、ときに(冷酷すぎるほど)論理的、ときに感情的な言葉の羅列や表情に、彼の非凡さやカリスマ性は感じ取れるものの、それは善悪や好悪でいえば、かなりネガティブな印象を観客に抱かせる形で演出されている。
映画全体の感想を率直に書くと、全体を通して登場人物たちは怒鳴りまくり喚きまくっていて、やや 喧しい (苦笑)。
ジョブズは大切なプレゼンの直前に、仲間達(盟友であるはずのスティーブ・ウォズニアックや部下たち)と怒鳴りあい、元恋人(クリスアン)と怒鳴りあい、かつての敵(ジョブズをAppleから追放した元CEOのジョン・スカリー)と怒鳴りあい、そして認知することを拒み続けた(クリスアンとの間に生まれた)実の娘リサと怒鳴りあう。正直にいうと、若干疲れるというか食傷気味になるのは否めない・・。
しかし、同時に膨大な量のセリフと迸るような感情の波には圧倒される。ジョブズ役のマイケル・ファスベンダーはジョブズに似ても似つかないのだが、後半になると、徐々にジョブズそのものに見えてくるから、やはり 相当な演技力というか、演出というか、観ている者を引き込む力が画面にあるのは確かだ。
ジョブズが長年の”目的”を達したところで映画は終わる
本作では、まずMacで失敗してAppleを追い出され、捲土重来を期して創ったNeXTでも失敗するジョブズが描かれる。そして、AppleにNeXTを買収させることで、再びAppleのトップに返り咲くと、iMacで 三度目の正直 のように、大成功を収めるところで、物語は終わる。
iPodもiPhoneもでてこない。IT業界やスタートアップに関わる者なら当たり前のように知っているエピソードだが、それ以外の普通の観客であれば、やはりiPodとiPhoneを通じてAppleとジョブズを知った人が多いと思うのだが、なぜ iMacまででストーリーを止めたのか、ちょっと疑問ではあったが、とにかく 事業の成功、自分がハイテク業界の真のヴィジョナリーであることを証明するという自己実現、そして、偏屈な自分の過去の所業によって断絶しかけていた実娘リサとの関係修復という、ジョブズにとっての ゴールにたどり着いたところで、映画は終わる。
(iPodもiPhoneもでてこない、と言ったが、実はiPodやiPhoneの登場を示唆するシーンはある)
誰もが知っている偉人を描く難しさ
スティーブ・ジョブズの伝記映画を、公開間もないうちに観にいくような客は、間違いなくジョブズのことをよく知っているはずだ笑。
事実僕は、ジョブズに関する書籍なら、軽く10冊は読んでいる。もちろん、本作の原案とされる、ウォルター・アイザックソン著の伝記も買った。
誰もが知っている人物、しかも最近亡くなったことで、その終末もすべて分かっている人物を題材に映画にするのはなかなかに大変だ。どういじろうが、観客はストーリーを既に承知しているからだ。
しかし、エンターテインメントとは、ストーリーだけが大事なわけではない。必要なのはやはり演出だし、周知の話にどう意外性をもたせるかの脚本だ。
その意味で、本作は 相当な努力と工夫で、スティーブ・ジョブズという難しい人物の新しい描き方に挑戦していると思う。
面白かったか?
そう問われると、正直にいうとちょっと答えに窮する。
しかし、観てよかったか?
そう問われればYesと答える。
どんな形であろうと、スティーブ・ジョブズの生き方、あり方に触れることは、我々にとって、大きな影響を与えることであるからだ。