大人気モデルの2代目となると、誰もが大きな期待を寄せるもの。初代が大好きだったのに、2代目でガッカリ。企業としてはそんな訳にもいきません

プレッシャーをはねのけ 存在感を見せつけた2代目 (ROADSTER BROS.@モーターマガジン社)

画像1: (ROADSTER BROS.@モーターマガジン社) www.motormagazine.co.jp

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NBと呼ばれる2代目 は、貴島さんが主査として開発したロードスターだ。
初代は平井さんが主査として陣頭指揮をとり、貴島さんはシャシーの担当として関わっていた。その貴島さんにかけられるプレッシャーの大きさ、相当なものだったろう。

初代でシャーシ担当だった貴島さんが主査。10年の年月を経ての大出世のようにも見えるけど、その分すべての責任が自分にかかる。しかもそれが空前の大ヒットモデルの2代目ともなると相当なものだと思う。

法改正により、リトラクタブルライトは突起物と見なされ、デザインとして採用できなくなっていた。今でこそ理解者は多いが、当時は一刀両断。初代オーナーのなかには、見向きもしないなんて人も。
ブリティッシュグリーンに代表されるように、初代はイギリスのライトウエイトスポーツカーのたたずまいだったのに対して、NBはマッチョなアメリカンだったこともあり、 初代オーナー、ファンには容易には受け入れられなかったのだろう。

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法律の改正で使えなくなったデザイン。試行錯誤の上生み出された2代目はすぐには受け入れられなかった。それも当然の話と言えば当然の話。好きなものが変化する事を簡単に受け入れられる人はいない。なぜなら、それそのものが好きなのだから。

それでも、「人馬 一体」のコンセプトには忠実に開発を進めたMAZDA。見た目の変化ですぐには受け入れられなくても、走行性能、エンジンフィール、イ ンテリアの質感向上など、すべてに おいて初代を凌ぐロードスターとなっているのだ。初代の走りに楽しさを感じていたファンにとって、乗ってみて好きにならない理由がなかった。

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初代で大人気となったことから、ロードスターにはアフターパーツのメーカーやショップが、さまざまなパーツをラインアップしていた。
その流れは2代目でも変わることはなかった。そのため、エアロをまとったドレスアップカー、チューニングマシンが各地のミーティング会場で見られるようになっていく。こうした姿は、初代とまったく変わることはない。発表直後は敬遠しがちだったファンも、すっかり仲間として受け入れていたのだ。

やっぱり、いいものはいい。時間がかかっても最終的には乗り手側にも伝わっていく。それを実証したと言っても過言ではないモデルだと思う。

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