自動車雑誌、オートバイ雑誌の老舗出版社株式会社モーターマガジン社全面協力の元、同社出版誌である【ROADSTER BROS.】よりMAZDA ROADSTERの歴史を学びながら、その魅力を伝えていきたいと思います。

国内メーカーが開発に挑戦し続け、生産を終了させてきた数々の2シーターオープンカーの中で、唯一現行モデルとして歴史を紡ぎ続けているMAZDA ROADSTER。その受け継がれ続ける「人馬 一体」のコンセプトを追求し、形にしてきた車。それがROADSTERなのです。

ゼロから生まれた マツダの異分子 !? (ROADSTER BROS.@モーターマガジン社)

画像1: (ROADSTER BROS.@モーターマガジン社) www.motormagazine.co.jp

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プロジェクトが立ち上がり、リーダーを平井主査と決めて進行していくのだが、何しろ会社のなかでは「どっちに転ぶかわからない」存在。そんなプロジェクトが優遇されるわけもなく、川沿いの一角を与えられ、そこを開発の拠点とした。これがかの有名な「リバーサイド・ホテル」。
  開発陣はみな手弁当で、ロードスターを実現化するために働いた。泊まり込んだり、休日出勤はざら。それでも、平井さんが理想とするロードスターを、現実のものとするべく邁進していたのだ。

ロードスターが誕生する1989年より前にRX-7(FC3S)のカブリオレモデルがあったものの、日本の車市場にほとんど存在しなかったオープンカー。受け入れられるか不安な状態での開発だったので、社内でも仮プロジェクトというような扱いだった。それでも折れない信念が現在につながっている。

いいクルマだと太鼓判を押せても、絶対売れるとは断言できるものではない。
 しかし、そう言いきれるほど胸を張れるユーノス・ロードスターが完成。スタッフが試乗したときには、だれもが笑顔になっていた。「楽しい」と断言した。こんなスペースでは書き尽くせないほどの苦労を経て、1989年2月、シカゴショーでMX-5が発表され、同年9月に日本国内での発売が開始された。

作ったスタッフ達が楽しいと断言できる車。モノづくりにとって一番大切な事だと思います。

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初代ロードスターが誕生したころはバブルまっさかり。周囲にはニッサンGT-R(R 32)、ホンダ NSX、そして同メーカーマツダの RX- 7 (FD3S)と、高級スポーツカーが登場していた。
  それらをライバルとすることなく、軽くて楽しいFR、オープン2シーターとして確固たるポジションを獲得した。これだけのセンセーションを起こせば、当然次モデルの開発も行われる。日本車のモデルチェ ンジの周期を考えれば、4〜5年でマイナーチェンジが行われる。そこで新たな装備やボディカラーが追加される。ところがロードスターの場合は、限定モデルが目白押し。マイ ナーチェンジもなにもなかった。

他スポーツカーがライバルにならない程の空前の大ヒット。それは、作り手が作りたい車がみんなが乗りたい車だという事を知っていたMAZDAの開発者達のこだわり抜いた結果だと思う。

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