モトクロスとロードレースの最高峰を走った唯一の存在
"JMB"ことフランスに1969年に生まれたジャン・ミシェル・バイルは、幼いころからモーターサイクルに慣れ親しみ、モトクロスの世界ですぐに頭角をあらわしました。1988年には、世界モトクロスGP125ccクラスでチャンピオン獲得。翌1989年に同選手権250ccクラスで王者になったバイルは、当時のモトクロス最強国のアメリカ、AMAスーパークロス/ナショナル・チャンピオンシップにチャレンジします。
強力なライバルたちを相手に、バイルは1991年にAMAスーパークロス250王者、そしてAMAアウトドア250/500ccの王者・・・3冠を達成します。そしてモトクロスの最高峰を制覇したバイルは新たな挑戦の舞台として、ロードレースへの転向を決行しました。
1992年フランスGP250ccクラスで世界ロードレースGPに初参加(ホンダ)。1993年はアプリリアで250ccクラスに参戦。1996年からは500ccクラスにスイッチし、ヤマハライダーとして参戦します。しかし、結果から言えば、JMBの世界ロードレース選手権時代は、250ccクラスでポールポジション1回、そして500ccクラスでポールポジション2回・・・以外に特筆すべき成績を収めることはありませんでした。
世界耐久選手権の栄光
世界ロードレースGPで目立った成績をおさめなかった・・・ということから、バイルのロードレース転向は失敗だったと見るものは少なくありません。しかし彼は、世界耐久選手権の舞台では輝かしい記録を残すことに成功しています。
SERT(スズキ・エンデュランス・レーシング・チーム)の一員となったバイルは、2002年のル・マン24時間耐久、そして2002、2003年のボルドール24時間耐久のウィナーに輝きました。耐久ファンならば周知のとおり、熱狂的に耐久レースを愛するお国柄なのがフランスです。フランス人として母国の2大耐久レースに合計3度も勝つことは、この上ない栄誉であったことは言うまでもありません。
栄光の2002年にバイルは大きな怪我をし、この年を限りに世界GPロードレースのキャリアを終わりにしています。バイルは今でもモトクロスやトライアルの各種イベントに駆り出されて、いろんなキャンペーンを手伝わされる人気者です(ちなみにロードレース引退後の2003年にはフランスのエンデューロレース、"グラップ・デ・シラノ"に参加して優勝しています)。同い年ということもあり、リアルタイムで彼の活躍を見てきた私には個人的な思い入れがあるのですが、おじさんになったバイルの近影を見ると自分も歳をとった・・・と思い知らされます(苦笑)。
彼のオフロードレーシングのキャリア全盛期から20年以上経った今ですが、今でも彼とAMAのトップモトクロスライダーたちの戦いに胸を躍らせた記憶、そして世界最高峰のロードレースにチャレンジした彼の勇姿の記憶は、これからも色褪せることはないでしょう・・・。
最後に、彼がモトクロスで強さを発揮していた1989年の動画をご紹介いたします。2ストローク500cc単気筒のモンスターマシンを、手足のように操るJMBの走りをご堪能ください。