もはや他のバイクには縁がない、と思うと、他のバイクも気になりだすものだ。ふと、昔のバイク遍歴を思い返すうちに、意外と写真が残っているものが少なく、また記憶の奥で風化しているバイクも多いことに気がついた。そこで古いアルバム(ほぼデジタル以前のものが多い)を引っ張り出して、まとめてみようと思いついた。
1996 - 2000年:マレーシア生活最後の愛車は再びのKawasaki Zephyr 1100
勤めていた商社を退社し、KLで自らベンチャーを起こした1996年9月。一旦日本に帰国して、東京で退職手続きをして、かっきり1週間後にマレーシアに舞い戻った僕は、自分自身の会社の設立に奔走した。
ワークパーミット(就労ビザ)を取得したり、オフィスを借りたり、車を購入したり(シンガポール以外のアジアでは車なしでは生活できない)と忙しく動くなかで、やはり僕にはモーターサイクルが必要だった。
そこで手に入れたのが、またもカワサキ。それもゼファー1100だった。
偶然出物があったということもあるし、付き合っていたバイク屋がカワサキとアプリリア専門店だったということもあるが、正直カワサキ以外のバイクに乗ることは、当時の僕の選択肢にはなかった。
車両が決まると、僕はそのままフルペイントをオーダーした。カラーは当時僕が作った(僕の最初のスタートアップの)会社のコーポレートカラーであった白とダークブルーをあしらった。配色は、KLの伊勢丹に入っていた紀伊国屋で買ったオートバイ雑誌に載っていた、旧車Zのカスタムを真似たのだが、そのページの切り抜きをバイク屋に渡しておいたところ、タンクにそのカスタム屋さんのロゴまで書き込まれたのには閉口した。そこは違うだろ・・・と思ったがやり直す時間がもったいなかったので、そのまま乗った。
わがマレーシア生活、6年間の集大成のバイク
僕は通算6年間、マレーシアの首都クアラルンプールで生活をした。
その間にシンガポールや香港にも支社を作るなど、全力で仕事に集中した。その間も、モーターサイクルは常に生活の一部だった。
前回も書いたが、1990年代を通じて、マレーシアでオートバイに乗っている日本人を僕は他にみたことがなかった。少なくとも、大型バイクに乗っていたのは本当に僕くらいだったろう。異国の地、それもだいぶ交通事情がよくないアジアの国で、モーターサイクルを手放さなかったことは、ライダーとしての僕の小さな誇りである。
そして、カワサキは、いや、日本の大型バイクは、マレーシアの若者の憧れだった。このバイクに乗っているということで、彼らの羨望の視線を常に感じることができた。日本人として、これだけプライドをくすぐられる経験は他にない。日本のバイクは、名実ともに、世界に通用する本物のブランドだったのだ。
僕がいま、ロレンスでモーターサイクルに少しでも関わる仕事をしている遠因は、このときに日本製のオートバイに勇気づけられたことに対する恩返し、と言えるかもしれない。そう思う。