オートバイ漫画は数あれど。ここでちゃんと紹介していなかったのが『750ライダー』。
実はぼくは読んだことがなかったのです〜。というわけで始まった『750ライダー』のレビューの後半です。(ようやく26ー50巻を読み終えた、というわけです!)

前編をお読みになっていない方はぜひ以下のリンクをご覧くださいませ。

画像: 祝・連載開始40周年【名作レビューシリーズ】ホンダ・ドリームCB750FOURを駆る少年の物語『750ライダー』ー前編 - LAWRENCE(ロレンス) - Motorcycle x Cars + α = Your Life.

祝・連載開始40周年【名作レビューシリーズ】ホンダ・ドリームCB750FOURを駆る少年の物語『750ライダー』ー前編 - LAWRENCE(ロレンス) - Motorcycle x Cars + α = Your Life.

オートバイ漫画は数あれど。ここでちゃんと紹介していなかったのが『750ライダー』。
実はぼくは読んだことがなかったのです〜。
そこでAmazonで調べていると1-25巻まとめ売りしているじゃありませんか!というわけでKindleで大人買いし、25巻まで読み終えてみると、26巻に続く、というメッセージが!
そう、『750ライダー』ってなんと50巻まであったんです・・・。
仕方ないので26ー50巻も購入。まさかこれだけの長編と思わず読み始めたトーマスの凡ミスでございます。
というわけで、とりあえず25巻まで、つまり半分読み終えたところでのレビューをお届けします!
『750ライダー』(ナナハンライダー)は、石井いさみによる日本の漫画作品。
『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)にて1975年から1985年まで連載された。単行本は少年チャンピオン・コミックスから発売され、全50巻。
ja.wikipedia.org
まず時代背景を見ると、『あいつとララバイ』が1981年-1989年だから、若干重なっていたんですね。高校生に対する3ない運動(「バイク免許を取らせない」「バイクを買わせない」「バイクに乗らせない」)が全国的に普及していた時代で、バイク乗りと見れば暴走族!というレッテルを貼られるような状況でした。そんな中の作品なので、主人公の高校生ライダー 早川光も周囲の冷たい視線を受けながらオートバイを乗り続ける、という設定から始まります。
彼とその仲間たちは高校2年生。16-17歳で、少なくとも25巻まではなんども夏休みと冬休み(なぜか春休みの記述がなかった・・)を過ごしながらも、ずっと高二というサザエさんなみの時間のループを繰り返しながら、一話完結型のストーリーが進むのです。
最初の頃の早川光は完全なアウトローというか不良少年というか、目つきも鋭いし、話し方も乱暴。しかも、第1話では、オートバイを没収した担任教師を、わざと前輪を外れるようにしておくことで事故を誘発させようとする陰険なところを見せてくれます。正直言って、トーマス、この第1話だけで、読む気を一瞬失いました。『あいつとララバイ』の菱木研二くんならそんなこと絶対にしないですからね。
『750ライダー』第1巻より:©石井いさみ先生
『あいつとララバイ』とは逆方向に変化していく
しかし、大人買いしてしまった以上は我慢です。
どんどん読み進むうちに、だんだん早川光が変わっていきます。
ガソリンスタンドでバイトしながらガス代を稼ぐ、勤労高校生となり、さらにどうもラブコメチックな話が増えてくるのです。見てください、光くんの顔の違いを。
©石井いさみ先生
『あいつとララバイ』は初期はラブコメ。中盤になると不良少年・少女、暴走族たちとの抗争に巻き込まれる荒っぽいお話が中心になり、そして徐々に速いライダーたちとの公道レースがメインになっていきます。多くのファンを魅了する『あいつとララバイ』は、だいたい17-18巻くらいから最終巻である39巻くらいまでの、バイクバトル編であって、それ以前の話は割と無視されることが多いです。
逆にこの『750ライダー』は、初期がシリアスなバイクバトル(ただし、速さを競うというよりも、相手を事故らせるという、やっぱり陰湿な展開が多くて、今の若いライダーには読ませたくないかな、という展開が多いです)、中盤になると爽やかな青春ドラマ、になってきます。
しかも前述したように、基本一話完結なんです。
それほど深いストーリーが進んでいくわけでもなく、軽い感じの内容が続き、特に進展もなく進むのです。
正直、こういう作品とは思っていなかったので、トーマス、衝撃でした。
これがどのように終わっていくのか、ちょっと想像もつきません。他のバイク漫画とは完全に異質な作品であると言わざるを得ません!
ただ、先述したように、やはりバイク=暴走族という図式があった時代だからこその作品なのかもしれません。
とりあえず、後半を読み終えて、レビューを続けさせていただきます。

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後半戦(26-50巻)も、最後までラブコメでした!

画像1: ©石井いさみ先生

©石井いさみ先生

『750ライダー』の主な登場人物は、
・主人公の早川光。高校二年生。
・光の同級生でガールフレンドの委員長(久美子)。
・光の同級生で親友の野崎順平。
・光の同級生で久美子の親友の麻子。
・行きつけの(というより入り浸りの)喫茶店のマスター。
・光と対立する暴走族の隊長。後半では光の親友になる。
・光のバイト先のガソリンスタンドの所長
・光たちの担任の熊田先生(第1話で光のCBを没収して事故させられたはずの先生)
・用務員のおやっさん。光たちの良き理解者で元軍人。
・星野先生。美人で柔道の達人。

こんなところです。
基本的に常にさざ波のような事件が起きては、なんとなく解決していく。その繰り返しで、何度も夏休みや冬休みがやってきては終わる。やっぱりそんな感じの展開です。
前半にあったような不良グループや暴走族との抗争はなく、ひたすらバイトと友情と進展しない(委員長との)恋の話だけで進んでいきます。

時代背景を考えるとある意味あたりまえなのかもしれませんが、光も順平もひどく貧乏で、コーヒーは常にツケで飲んでいるし、千円二千円のお金も持っていません。五人兄妹の長男である順平は、毎年毎年こどもの日には幼い弟たちに鯉のぼりをねだられ、クリスマスにはプレゼントを欲しがられ、自分の不甲斐なさにしょぼくれます。そしてその都度、光や委員長、マスターたちの温かい友情に助けられます。
また、光も前編(1-25巻)の暗い陰は全くなく、委員長に男の影がみえるとかみえないとか、テストの結果が悪かったなどの理由で落ち込み、そして友人たちに助けられるのです。

大人になったらオートバイを降りる。若者の、一時期だけの遊びのようにオートバイを認識していた時代の作品

画像2: ©石井いさみ先生

©石井いさみ先生

このようにストーリー的にはまるで進まない、ほぼハートフルコメディのような作品となった後半戦ですが、最もショックだったのは、激しい抗争ののちに友人となった暴走族の隊長が、若くして結婚を決意し、その代わりとして自分の愛車を捨て、オートバイを降りるところです。

光も当然これにショックを受け、自分もいつかオートバイを降りるのだろうかと考えます。彼の悩みは、ガールフレンドである委員長から「早川くんはオートバイを降りたらただの男の子でしょう?」と言ってもらうことで心が晴れるのですが、ぼくの心は晴れませんw

古臭い。でも、だからこそ意味がある『750ライダー』の功績

オートバイの歴史を考えると(少なくとも国内は)、カワサキのZ1以前と以降で、テクノロジー面でもデザイン面でも大きく変わったと思います。

『750ライダー』の早川光が乗るHONDA CB750K(1969年発売)は、一つの時代の頂点で、カワサキで言えばマッハ(500SSマッハIII H1)などと同じ世代。今見ると、古いバイク(だけどかっこいい)と思える形です。しかしZ1以降はいわゆるネイキッドバイクの、今につながる型ができています。CB750は素晴らしいバイクでしたが、やはり前の時代のバイクという感じがします。

同じ意味で、『750ライダー』は、オートバイを題材にした青春を描く、パイオニア的な作品です。オートバイが暴走族の必須アイテムとしてしか扱われていなかった時代の作品なのです。
だから前半の暴走族ではないけれどアウトローではある少年を描く作品から、後半ではほのぼのとしたラブコメへと変貌していくのも、ある意味当時の環境の影響と言えるかもしれません。

それ以降の『あいつとララバイ』(1981年から1989年)や『バリバリ伝説』(1983年から1991年)などには、「いつかバイクを降りる日が来る」とか、「将来何になろう」と考えるようなことはありません。バイクにはいつも乗っているし、恋とバイクを天秤にかけることもない。菱木研二も巨摩郡も最終的に公道レースからは卒業しますが、それもレースという次のステップに向かうからです。
また、『キリン』(1987年から2010年??)はレーサーという職業的ライダーへの世界へと向かうことはないが、オートバイを降りるという選択はやはりありません。

『750ライダー』の早川光がアウトロー的な主人公から、ささいな青春の蹉跌に思い悩む普通の少年に変わったことや、オートバイに乗り続けることの難しさを意識させられることは、完全に1970年代から80年代前半という時代背景のせいでしょう。

今読むと、『750ライダー』は明らかに古臭く、前の時代の作品です。しかし、シェークスピアの悲劇だって大昔の作品なわけです。
そう思って今読んでみれば、現代につながる普遍的な良さが見えてきます。

オートバイを乗ることが悪だった時代に背いた一人の少年が手に入れた、普通の青春の物語。そこに価値があるのだ、そう思います。

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