もう一つの眼として手に入れたい。それがLEICA
誰にも邪魔されずに思索に集中できる空間としてのクルマがあり、誰にも邪魔されず無心になれる瞬間としてバイクがある。
そして、眼に映る美しいモノ、愛しいモノを一瞬で切り取って記録できるものとして、カメラがある。
クルマもバイクも、自らの内なる何かにアクセスできる、かけがえのない時間を生み出せる素晴らしい道具だが、カメラはその時間をコピーし、写真として残すことができる。クルマやバイクで得たものは自らに記憶するしかないが、カメラはそれらを記録して、しかも誰かに共有することができるところが素晴らしい。そして写真は、動画とは違って、複数のメッセージを同時に込めることが可能だ。饒舌ではないがゆえに、深みを持つ。だから僕はカメラ、そして写真を愛している。
ライカ(LEICA)は、カメラと写真を愛する人たちの間では、おそらく世界最高のブランドだろう。
ライカは、レンジファインダー(光学視差式距離計。レンズの繰り出し量などを測定することで合焦装置と光学距離計を連動させ、スプリットイメージや二重像の重ね合わせによりピント合わせを行う。一眼レフカメラよりコンパクトでありながらきちんとピント合わせができるため、未だに愛用者が多い - wikipedia)というレガシーなテクノロジーにこだわり、手振れ補正もオートフォーカスもない古臭いカメラをいまだに世界最高峰のカメラブランドとして成立させている。
このあたりは同じドイツのポルシェにも似たところがある。ポルシェもまた、主力である911に採用しているリアエンジン・リアドライブという、やはり古臭いシステムを、技術者の執念によっていまだに現役でい続けさせている。
ヴィム・ウェンダース監督の静謐なCMに再び心揺れる
この動画は、ライカの素晴らしさに惹きつけられた一人のクリエイターを紹介するものだ。
製作したのは、ドイツ人映画監督のヴィム・ウェンダース。彼は、奥様が著名なフォトグラファーであり、その影響か彼自身も写真展を開くほどの腕前だそうだ。日本にも来日したことがある。
70歳近いウェンダース監督は、ライカを慈しみ、未だにうまく撮れるように練習する、と語っている。
「ライカは秘密のオブジェクトであり、触るたびに胸がドキドキする」とウェンダースは静かに話す。
長いキャリアを持ち、さまざまな撮影器具を使いこなしてきたウェンダース監督にして、ライカはいまだに胸をおどらす、素晴らしいツールなのだ。
できることは写真を撮ることだけ。それだけの道具が、まるで魔法のツールのように感じ取れる。
優れた道具に依存するのではなく、自分を合わせていく
弘法は筆を選ばず、という。名人は何を使っても傑作をモノにする。それは本当だろう。
しかし、腕の未熟さを良い道具がカバーする、ということもある。そして、それは決して悪いことではないと思う。
僕はクリエイターであると自認しているが、写真家ではない。自分の感覚を切り取り、残す。そのセンスを自分の眼に頼るだけでなく、もう一つの目として良いカメラ、よいレンズの力を借りることは悪いことではないと思うのだ。
素晴らしい武器を手に取ることで、実力以上のパフォーマンスを得られるならば、そして同時にその武器に見合う実力をいつか備えるために研鑽を積むことを惜しまないのであれば、背伸びしてその武器を手に入れることは、悪くない。
ライカのMシリーズ。
これを手に取るのであれば、そのブランドに恥じない腕とセンスを磨かなければ宝の持ち腐れになる。あえて背伸びをして、自分の力を押し上げる。憧れのブランドとはそういうものだろうと思う。