初めて”ターボ”という言葉を聞いた時、子供心に痺れるような興奮を感じた
いまでこそターボというテクノロジーはテクノロジーは軽自動車にも搭載されている、車に詳しくない女性や子供でも知っている用語になった。
エンジンをコンパクトに、排気量を小さくすることで燃費をよくする。その代わりにターボを使ってパワーを補う。いわゆるダウンサイジングターボだ。
だが、1974年にポルシェ930ターボが登場したときには、そんな行儀のいい印象も、環境に優しいモードも一切なかった。ターボという言葉は、過激で背徳的で、まるで違法な薬物であるかのような妖しいイメージを孕むものだったのだ。
わずか6気筒に3000cc程度のエンジン。
なのに12気筒4000cc以上の巨大な心臓を積むスーパーカーを敵に回して一歩も引かない。小さなカラダにドーピングをして、巨漢に立ち向かう。そんな危険な香りを漂わせるものだった。
ポルシェ・ターボ。その始祖であるポルシェ930ターボは、悪魔に魂を売り渡すことで常人ならぬ速さとパワーを手に入れた、まるでゴーストライダーのような魔的な存在として、当時の少年たちの心を揺さぶったのだ。
日本メーカーも熱狂したターボテクノロジー
ターボとは、正式にはターボチャージャーという。簡単にいうと、タービンを使って圧縮した空気を強制的にエンジンの中に送り込む仕組みだ。
たくさん空気(酸素)があったほうが爆発力が高まるので、ターボ付きのエンジンは、実際より大きなエンジンと同等のパワーを発揮できる。まさしくドーピングである。
排気管から廃棄されていた排気ガスの内部エネルギーを利用してタービンを高速回転させ、その回転力で遠心式圧縮機を駆動することにより圧縮した空気をエンジン内に送り込む。これにより廃棄エネルギーを回収しつつ内燃機関本来の排気量を超える混合気を吸入・燃焼させる。結果、機関としての熱効率が高まり燃料消費率が低減されるほか、排気ガスの有害成分を減少させることが可能である。
このターボという技術は、もともと航空機に用いられていた。それを車にも活用しようとしたものの、ストップ&ゴーを繰り返す、陸上で走る自動車にはなかなか適用できず、多くのメーカーがチャレンジしては諦めた。当時の技術レベルでは、ターボチャージャーはエンジンを高回転させた状態(3000RPM以上とされた)を維持していなければ、効果を発揮できず、信号待ちや渋滞にはまるたびにタービンの回転が止まってしまう実用車では、まるで意味がなかったのだ。(これをターボラグという)
このような欠点がありながらターボチャージャーをサーキットで走るレーシングマシンの心臓として採用し、実戦で磨き上げ、公道で走るスポーツカーとして仕上げてきたのがポルシェだった。
もちろん当時単なる車好きの小学生だった僕たちに、そんな背景はわからない。ただ前述のように、馬鹿でかいエンジンを積む大排気量車たちがひしめくスーパーカーブームの中で、小柄で非力だったはずのポルシェ911が突如として、そのトップクラスの高性能車ブランドとして躍り出てきたことに、僕たちは熱狂したのだ。
V型12気筒?5000cc?
ふざけるな、俺たちにはターボがあるぜ、と。
実際、日本の各メーカーや、自動車のチューニング関係者たちは、このターボという技術に僕たちと同じく熱狂した。効果はあるが制御しづらい、扱いづらいテクノロジーとしてのターボが、ポルシェによって突然手が届きそうな技術になった。まるでハリー・ポッターの魔法の杖のように、それを手に入れれば自分たちもまた魔法を使えるような気分になったのだ。
その後日本はターボ技術を研究し、自分のモノにすることに成功したが、そのあたりの話はまたいつか別の機会を待とう。僕が言いたいことは、ポルシェ930ターボが、筆舌に尽くしがたいくらい魅惑的で、衝動的で、悪魔的なパワーと衝動を日本人に与えた、という事実、だ。
今僕が乗るクルマにもターボはついている。それなりに十分なパワーも出る。
しかし、いま存在する巷のターボカーのほとんどは、冒頭のダウンサイジングの代償としてのターボであり、天を目指し、力を求めた、あの在りし日の”いけない”衝動の結果とは違う。
それを懐かしくは思っても、同じような衝動にいま身を任せることはナンセンスであるとはもちろん知っている。ただ、ひたすらパワーを求め、過激なまでの上昇志向に全身を浸すことができたであろう時代の徒花としての、ポルシェ930ターボの、切ないばかりの輝きを、いまこの時代でさえ、誰にも否定することはできない、そう思うだけなのである。