レーシングイメージがあまりないハーレーダビッドソンですが、かつては世界のレーシングシーンで活躍していた時代もあったのです。そんなハーレーは日本車の高性能化にともないしだいにレースシーンから遠ざかって行くことになりますが、1980年代は2気筒のエンジンのみで競うアメリカの「バトル・オブ・ザ・ツイン(B.O.T.T)」というレースで人気を誇ることになります。
● Battle of the Twins - Daytona 1985 - Harley Davidson vs Ducati
1985年のデイトナでのマルコ・ルッキネリとの激闘
1985年にデイトナ・インターナショナル・レースウェイで開催されたB.O.T.T.の映像でその強さを見ることができます。B.O.T.T.でのライバル、ドゥカティとの激闘の末に見事優勝を遂げます。最後まで抜きつぬかれつのデッドヒートを演じるドカッティのライダーは、1981年にスズキで世界ロードレースグランプリ(WGP)のチャンピオンとなったマルコ・ルッキネリ。
大きなバンク角をもつデイトナのオーバルコースも使用したレースは手に汗握る展開です。接戦の末に勝利をもぎ取るジーン・チャーチはB.O.T.T.で1984年と1985年のチャンピオンとなりました。
ルシファーズ・ハンマーと呼ばれた伝説のレーシングハーレー
このB.O.T.T.で活躍したレーシングハーレーは、1983年にB.O.T.T.出場のために市販されたホモロゲーションモデルXR1000のエンジンを搭載し、ファンの間では「ルシファーズ・ハンマー」と呼ばれ伝説のマシンとなっています。
このルシファーズ・ハンマーはこの後にエリック・ビューエルさんの手によりルシファーズ・ハンマーIIへ進化して、ハーレーのスポーツスターのエンジンを搭載した市販スポーツバイク「ビューエル」へと発展してゆきます。ツアラーの印象が強いハーレーダビッドソンですが、スポーツバイクとしての血統も繋いでいたのですね。