・・・・続きの歌詞がわからないのでここで替え歌?断念しました。閑話休題。みなさんはかつて米国カリフォルニア州の太平洋沖のカタリナ島で開催されていた「カタリナGP」というレースをご存知ですか? 


1950年代に開催されていたこのレースは、英国マン島TTのように公道を利用して行われていたイベントでした。近代以降のマン島TTは全舗装路のコースですが、カタリナGPは舗装路とダートの混合コースなので、参加車両はアップハンドルバーのレーシングマシンが主体だったのが特徴です。


古き良き時代のアメリカンレース


第二次世界大戦後のアメリカは、失われた青春を取り戻そうとする復員兵の若者たちおかげで、空前のモーターサイクルブームが発生。米国外のモーターサイクルメーカーは「こりゃ売り時!」と色めき立ち、米国への輸出にセッセと励みました。


注目のイベントであるカタリナGPで好成績をあげることは、格好の宣伝材料になりました。そこで英国、欧州のモーターサイクルメーカーはワークスマシンを投入し、カタリナGP制覇に力を入れていたのです。


画像1: 俺は東京生まれクラシック育ち、古そうなヤツは大体友達?

出典:http://mxa-old.ironfly.net/Uploads/Public/Images/AAA1/

画像2: 俺は東京生まれクラシック育ち、古そうなヤツは大体友達?

出典:http://global.yamaha-motor.com/race/wgp-50th/column/


BSAの名車、ゴールドスターの派生モデルであるカタリナスクランブラーは、BSAのカタリナでの勝利を記念して誕生しました。またヤマハは米国での自社ブランドのアピールのため、1958年に2ストローク2気筒のファクトリーバイクで参戦。伝説のライダーである伊藤史朗が6位というリザルトを残しています。

出典:OTW VANS


2010にレッドブルがカタリナGPをリバイバル

さて、いささか旧聞ですが、2010年にレッドブルがスポンサーとなり、このカタリナGPのリバイバルイベントが開催されました。その模様をおさめたこのムービーの主役であるドミトリー・コスタは、おしゃれバイカー業界(という呼び方が適当かどうかは定かでありませんが・・・)のVIPとして著名な方です。

ドミトリーのクールなライディングシーンにしびれますね。ちなみに私は昨年、HELL ON WHEELS TAKES JAPANというイベントで彼と一緒に走りました。一緒に走ったことあるし、2〜3言カタコト英語で話したことあるし、Facebook友達でもあるし・・・ということで、大体トモダチ?というわけです。これで一応、タイトルと本文の話がつながりましたね・・・つながったということにしてください(苦笑)。

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