PV数とかエンゲージメント数とかまるっきり無視? の、極めて限られた好事家向け!? 連載の第2回。 強力な走破力をサイドカーに与える2WD(本車後輪&側車輪駆動)は、軍用サイドカーに好んで採用された技術ですが・・・ところでこのユニークなメカニズム、どこの誰が最初に具現化したのでしょうか?

確認される限りでは、最初の2WDサイドカーは1928年に誕生しました

本車(バイク)側の後輪だけでなく側車輪も駆動させたら、不整地での走破力がアップするのではないか・・・? というアイデアは、おそらくサイドカーが発明された黎明期から多くの人により考えられた構想かもしれません。

しかし、その具現化は20世紀に入ってから30年弱・・・1920年代後半まで待たねばなりませんでした。世の2輪史研究家たちの説によると、2WDサイドカーが実際に製造されたのは1928年のことであり、ソ連のピョートル・ウラジーミロヴィチ・モザロフがその開発者でした。

P.V.モザロフは「 Izh」の黎明期モデル群の生みの親であり、ロシア製2輪車の父と呼ばれる偉大なエンジニアとして著名な人物です。ロシア・ウラル山脈の西側、イジェフスクの地でモザロフはIzhのバイク開発を1928年に開始。最初の試作車Izh-1は1,200ccのVツインを搭載する4人乗りサイドカーでしたが、続いて作られた試作車Izh-2もIzh-1同様の1,200ccサイドカーでした。

1929年に撮影された、トレーラーを牽引して走るIzh-1サイドカー。

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ただしIzh-2はエンジンが強制空冷式になっており、さらに2WD・・・側車輪駆動のメカニズムも採用していたのです! しかし理由はわかりませんが、P.V.モザロフは2WD技術の発展をそれ以上追及しようとはしませんでした。彼はその後、Izh-3からIzh-7までのIzh車、2ストローク293cc単気筒を搭載するトレマス300とL-300、そしてソ連の軍用車として活躍したNATI-A-750などのNATIの3機種を生み出していますが、いずれのモデルにも2WD技術を盛り込むことはありませんでした・・・。

ウラルの先祖的モデルのM-72が主流になる前、活躍したPMZ-A-750 (1934-1940年)。P.V.モザロフをリーダーとする開発チームにより、最初のNATI-A-750が1933年5月に完成。750ccのVツインを搭載し、サイドカー用にも使われました。なお1934年7月からは、ポドルスキー・メカニカル・プラント=PMZで生産されています。

www.automotomuseum.ru

現在2WD技術を活用するサイドカーといえば、誰もがウラルの名を最初に思い浮かべると思います。偉大なP.V.モザロフの手により、ソ連(ロシア)の2WD技術は他国に先駆けて登場していたわけですが、本格的に「北の大国」で2WD技術が発達するのは、もっと後の時代のことになってしまったワケです。

余談ですがP.V.モザロフは1934年3月11日、ソチのリゾートでの休暇中に46歳の若さでお亡くなりになっています。その死因は未だ明らかにされておらず、自殺、スパイの容疑で殺害、政治的理由からの暗殺・・・などなど、その死因には今も諸説が飛び交っています。

サイドカー・トライアル競技で活躍した、ボーンの2WD技術

P.V.モザロフのIzh-2にわずか約1年遅れで、英国のヘンリー・P. ボーンこと、ハリー・ボーンは1929年に独自の2WDサイドカーを生み出しました。試作車のみで終わったIzh-2に対し、ボーンの2WD技術はその後も発展の可能性が追及されています。

英国グロスターシャーで育ったハリー・ボーンは、1920年代にバイクのトライアルのライダー/大会主催者として活躍していた人物です。航空エンジニアだった彼は1920年に自身の会社を設立。1923年から、自身の名を冠したバイクを製造するようになります。

1929年、ボーンはサイドカートライアル用の技術として独自に2WD・・・SWD(サイドカー・ホイール・ドライブ)を開発し、その特許を取得します。世の中の多くの2WDサイドカーは、シャフトドライブの本車側後輪駆動方式を採用していますが、ボーンは本車側後輪駆動方式にドライブチェーンを使用しているのが大きな特徴でした。

英国ストラウドにある「ミュージアム・イン・ザ・パーク」に展示される、1929年型ボーンSWDサイドカー。この展示車をレストアしたのは、1924年にボーンのアプレンティス(見習い工)をしていた人物を父に持つグラハム・スタッグです。

museuminthepark.org.uk

ボーンSWDサイドカーの側車輪駆動メカニズムがよくわかるカット。ドライブチェーンで駆動される本車後輪の車軸から、シャフトを介して側車輪を駆動します。駆動力の連結/切断は、ドッグ・クラッチが担っています。

www.gracesguide.co.uk

ボーン初の2WDサイドカーはボーンで働くビル・ヘイワード用のマシンであり、1929年のコッツウォルド・カップという大会に間に合うよう1928年後半から製作されました。泥や草で滑りやすい路面状況でも、しっかり駆動するボーン2WDサイドカーに乗るヘイワードは、英国内のサイドカートライアル競技で大活躍しました!

英国製軍用2WDサイドカー製造は、ノートンが担うことに・・・

1932年にボーンは軍用サイドカーに適した技術として、英国陸軍省に自身の2WD技術を売り込んでいます。しかし、そのころの英国陸軍省は彼のアイデアに関心を示さず、結局採用に至ることはありませんでした。

ボーンが英国軍に売り込みをした1932年から約6年後・・・ベルギーのFN製FN M12a SMの影響か、はたまたツュンダップやBMWが2WD軍用車を開発中という情報を耳にしたのか、1938年に英国軍は国内メーカーに、評価用としてのSWD(サイドカー・ホイール・ドライブ)車15台納入をオーダーしました。

今も昔も、「国」と「商売」をすることはメーカーにとって美味しいビッグ・ビジネスです。そしてこのチャンスを手中におさめたのはSWD・・・英国2WDサイドカーの元祖であるボーンではなく、歴史ある名門メーカーのノートンでした・・・。ボーンはすでに2輪製造業者としての活動を1936年に終了しており、次の世界大戦をにらみ航空機用部品製造へと舵を切っていたのです。

ノートンは1936年に陸軍用マシンの入札に勝利し、サイドバルブ方式の490cc単気筒のWD16Hを約900台納入していました。そのような実績がある大メーカーのノートンが、軍用2WDサイドカーを受注したのはある意味自然な流れだったと言えるのかもしれません。

英国軍に採用された、1941年型ノートンのビッグ4サイドカー。エンジンは633cc単気筒を採用しています。最初にテスト用に納入されたプロトタイプは、1938年に15台を製作。そして正式採用車が戦中に約4,500台が製造されることになりました。

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ボーン同様に、本車後輪から駆動力を取り出し、ドッグ・クラッチとユニバーサル・ジョイントを介して、側車輪を駆動します。

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実はノートンは、ボーン製2WDサイドカーのトライアル競技での好成績に注目していました。そしてワークスチームのデニス・マンセルはノートン製2WDサイドカーを製作し、実戦に投入していました。ノートンの2WDの特徴は、ドッグ・クラッチと側車輪をつなぐシャフトにユニバーサル・ジョイントを介している点で、このあたりの仕様の違いによりボーンに対する特許侵害を巧みに回避していました。

1930年代、ボーンの革新的2WD技術はサイドカートライアルの世界に論争を呼び起こしました。当時トライアンフのレース部門に属していたハリー・ペリーは、2WD技術はサイドカートライアル競技の公平性を脅かすという論を当時英国の専門誌に展開。2WD車にはハンデを与えるべき、と主張しました。

裏を返せば、2WD技術を持たない側からすれば、2WD車には何らかのハンデを課さないと勝ち目がない・・・それくらい2WD車の威力はサイドカートライアルの分野において強烈だったということです。なお現在、英国のモータースポーツを統括するACUは、サイドカーの側車輪駆動を禁止しています。

Instagram

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上のInstagramは、1946年のコッツウォルド・カップでのボーン2WD車の写真投稿です。ボーン製2WD車の最後のサイドカートライアルでの活躍であり、2・3輪車製造をボーンが止めてから多くの歳月が過ぎた、戦後の競技会でもその戦闘力は依然高かったことを今に伝えるものです。

ちなみに記念すべき最初期の1929年型ボーン製2WDサイドカーは、2010年にストラウドの「ミュージアム・イン・ザ・パーク」に所蔵され、グロスターシャーにいた偉大な発明家、ハリー・ボーンの業績を讃えています。