自動車業界で"跳ね馬"といえば、万人が思い浮かべるのはフェラーリのことだと思います。なお、かつてドゥカティも"跳ね馬"をあしらったマシンを登場させていたことは、Lawrenceの過去記事でも紹介しましたが、ドゥカティ以外にも"跳ね馬"をあしらったバイクがイタリアには存在したのです。

ドゥカティと"跳ね馬"については、恐縮ですがリンク先の過去記事をご参照ください

みなさんはイタリアの「モルビデリ」というメーカーをご存知でしょうか? そもそもモルビデリは木工家具や、木工コーチボディを自動車メーカーに供給する職人的な業者でした。そんなモルビデリの創始者であるジャンカルロ・モルビデリは熱心な2輪愛好家であり、1969年からついに自前のレーシングチームで、イタリア国内のロードレース選手権50ccクラスへの参戦を開始しました。

その後1974年、モルビデリはファン・フィーン・クライドラーの超絶優秀エンジニアだったヨルグ・ミューラーを自陣に招き入れることに成功。そして彼の設計による水冷2ストローク2気筒ロータリーディスクバルブエンジンを搭載するモルビデリブランドのGPマシンで、1975年の世界ロードレースGP125ccクラスでタイトルを獲得します(ライダーはパオロ・ピレリ)。

1975年の世界ロードレースGP(現MotoGP)125ccクラス王者になった、パオロ・ピレリ(モルビデリ)。

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1976年は、前年ランキング2位だったピエール-パオロ・ビアンキが125ccクラスを制覇。1977年はマリオ・レガを擁して250ccクラスに参戦。そして見事レガが250ccタイトルをモルビデリに初めてもたらし、125ccクラスではP-P.ビアンキが連覇に成功するという、モルビデリにとってベストなGPシーズンになりました。

1978年は、MBA(モルビデリ・ベネリ・アルミ)のブランド名で参戦したユージニオ・ラザリーニが125ccクラスのタイトルを獲得。その後も1980年にP-P.ビアンキが125ccタイトルを獲るなど、1980年代前半の時代までモルビデリは125cc以下のGPロードレース界で、その存在感を誇示し続けました。

なお端折ってしまいましたが(苦笑)、ドゥカティと"跳ね馬"の関係については、下記のリンクのLawrence過去記事をご参照ください。よろしくお願いいたします!

なぜ、モルビデリ車のクランクケースに"跳ね馬"が・・・?

1970年代半ばから1980年代初頭にかけて世界ロードレースGPで活躍したモルビデリは、1976〜1977年にMBAのブランド名で市販レーサーを供給し、多くのプライベーターに歓迎されることになりました。

短期間に販売された、モルビデリ(MBA)の125ccクラス用市販レーサー。

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そんなモルビデリ(MBA)の市販レーサーのクランクケースに、"跳ね馬"が鋳込まれていることを知っているのは、かなりのロードレースファンだと思われます。

モルビデリ(MBA)製の125cc市販レーサーのクランクケースには、"跳ね馬"の意匠が鋳込まれているのです!

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なぜに、ここに跳ね馬が鋳込まれているの? ということの答えですが・・・今まで散々引っ張ってきたので、あっさりネタばれします(笑)。それは、モルビデリ(MBA)の市販レーサーのクランクケースは、フェラーリ工場の鋳造所で作ったから・・・なのです。

イタリア製2&4好きには常識と思いますが、イタリアの工業界はノルド・・・「北」に集中しています。イタリアは北と南で別の国・・・みたいな感じで、名の通ったイタリア製2&4ブランドは北に本拠を集中して置いています。

そんな状況もあってか、北にある2&4製造業者は横のつながりがメッチャ強いのです。要するにモルビデリにはフェラーリと深い付き合いがあって、鋳造技術の実績豊富なフェラーリに自社の市販レーサーのクランクケース鋳造を依頼したのです。

なお余談ですが、モルビデリ創業者のジャンカルロの息子、ジャンニは1990年から1997年まで、浪人時代を含めF1ドライバーとして活躍した人物でもあります。

ジャンニ・モルビデリは、スクーデリア・イタリア、ミナルディ、フットワーク、ザウバーなどのドライバーとして、F1を戦いました。

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自動車文化発展に傾けた人々の想いの熱量 x そんな人々の人数 = 自動車文化の熟成度、という方程式が成り立つのだとしたら・・・。2&4の世界における過去1世紀余のイタリアの存在感が、なにゆえに強烈なのか・・・? モルビデリとフェラーリの結びつきはそのひとつの証明・・・と言えるのかもしれません。ともあれ、我々日本人もイタリアの人々に負けないよう、今後一層モータースポーツに情熱を傾けることに頑張りましょう!