きっかけは、ハーレーダビットソンのロビー活動でした・・・
1983年4月1日、当時米国大統領だったロナルド レーガンは、1983年2輪車関税(大型車輸入に関する覚書)に署名をしました。その内容は非常に保護主義的なもので、輸入される大型2輪車の関税をおよそ10倍!! に引き上げるというものでした。
同月15日より実施されたこの関税引き上げは、米国を代表する2輪ブランドであるハーレーダビットソンの要請を、当時のレーガン政権が実行に移したものです。5ヵ年というこの関税プランは700cc以上の排気量の輸入車が対象で、初年度は4.4%から49.4%まで引き上げ! その後は39.4%、24.4%、19.4%、14.4%としていき、5年目以降は元の4.4%に戻すというでした。
この関税がスタートする前年、1982年当時の米国の輸入大型車の台数は約20万台で、その80%が1970年代以降米国市場で大人気だったホンダ、スズキ、ヤマハ、カワサキの製品でした。当時のハーレーダビットソンは750ccクラスのモデルは販売していませんでしたが、750cc前後の排気量のマーケットに再参入する考えを持っていたので、関税による日本車からの保護を米政府に求めていたのです。
1981年、ハーレーダビットソンブランドは1969年以降の所有者だったAMF(アメリカン マシン アンド ファウンドリー)から買い戻され、同時にビジネスの建て直しのための工場設備の刷新、品質向上計画、新型エンジン(のちのエボリューション)開発、そして新機種開発などをプランが練られました。これらのプランが成果を出すまでの「時間稼ぎ」が必要ということで、ハーレーダビットソンの要望に応えるかたちで米政府は関税を使って彼らを支援したわけです。

1984年型ホンダ セイバー700。元になったセイバー750のV4エンジンのストロークを48.6mmから45.4mmに落とし、698.9ccの排気量を得ていました。
hondanews.com日本政府は当然この関税に抗議しましたが、日本の4メーカーは利益を守るためにその抗議の成果を悠長に待つことはしませんでした。速やかに各社が関税がかからない、750ccモデルをベースとした排気量700cc以下の「タリフ(関税)バスター」と呼ばれることになるモデルを米市場向けに用意したのです。
ホンダはV45インターセプターとV45セイバーの699cc版である、VF700Fとセイバー700を1984年に発売。これらのタリフ バスターたちは排気量減少による動力性能低下を補うため、バルブタイミングの異なるカムシャフトを与えたり、減速比を変更するなどの工夫が施されていました。なおVF700Fの価格は当時3,400ドルで、750cc版よりも800ドルも安い価格設定(当時のレートで約19万円安)でした。
関税が撤廃され、役目を終えたタリフ バスターたち・・・
ホンダの他には、ヤマハがXV700(ビラーゴ)、スズキがGS700E、カワサキがKZ700などのタリフ バスターをリリース。ボアを縮小したり、ストロークを短縮したりと、その排気量ダウンの手法は様々でしたが、いずれのモデルも排気量ダウンが魅力ダウンにならないよう留意して開発されたのは一緒でした。なおホンダとカワサキは米国に工場を持っており、現地生産車には関税が課せられないことが両社には有利にはたらきました。

1985年3月の、米サイクルワールド誌に掲載された、スズキGS700ESのテスト記事。なおフェアリングのない、シンプルなGS700Eも米市場向けに販売されていました。
magazine.cycleworld.com1987年10月9日、レーガン大統領は関税引き上げの撤廃を発表しました。同年ハーレーダビッドソンは米国国際貿易委員会に対し、再び利益が出せるようになり、資本も増強され、経営多角化もできたのでこれ以上の援助は必要ないと伝え、関税プランを予定より1年早く終わらせるよう要請したのです。
日米両政府、そして日本メーカーとハーレーダビットソンの間の話し合いは、この関税施行期間中にいろいろあったようですが・・・。ともあれハーレーダビットソンの再建が上手く行ったため関税は撤廃されることになり、排気量700cc以下の日本製タリフ バスターたちはその役目を果たし終えることになったわけです。
次々と思いつきのように、関税の話を取引材料として出したり引っ込めたりする現在の米政権ですが、はたして今回の25%追加関税はどうなるのでしょうか? 日本の自動車産業的にも、米国のユーザー的にも有り難くない話ではありますから、数日後に「あれはなし!」と米政府が引っ込めてくれることを期待したいですね(苦笑)。