河原良雄
自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員のフリーランスライター。
連載:ホンダ偏愛主義
「オープン感覚が楽しめる」
国内初の電動式サンルーフを装備した 初代ホンダ プレリュード
1978年に登場した初代プレリュードはインパクト大だった。何しろシビックとアコードしかなかっ1978年に登場した時代に、2+2のスペシャリティクーペを投入したのだから。コンパクトながらスタイリングはロングノーズ&ショートデッキのノッチバッククーペ(※)。
※ノッチバッククーペ=ボンネット、キャビン、トランクルームの3つからなる自動車の形状。クーペとは2枚ドアの形態を指す。
小さなメルセデスベンツSLCに見えなくもなく、川越にホンダのテストコースがあった関係から「川越ベンツ」とも呼ばれるようになる。アコードをベースにしていたが、ハンドリングは当時としては秀逸で見掛け倒しではないところも注目された。
スペシャルティを謳うプレリュードにとって欠かせなかったのが「オープン感覚を楽しめる」国産初の電動式サンルーフだった。それまでのサンルーフと言えばN360にも用意されていたような手動式キャンバストップだった。が、サンルーフ需要の大きいヨーロッパ、中でも高級車は電動式が主流になっていた。
メルセデスベンツのSLC(※)も電動式サンルーフを用意していたのである。スイッチひとつで天井が空く開放感は、当時まだ多かったスモーカーにとっては朗報だった。シガーライター&灰皿は今と違ってインパネの特等席だった時代だけに、だ。見上げると桜や紅葉、さらには星空は、助手席を指定席とする向きには大好評。プレリュードが後にデートカーとして発展するベースはここにあった。
メルセデスベンツ SLC=2人乗りのクーペカブリオレタイプのスポーツカーのこと
スイッチONで簡単オープン
見上げれば空がある新鮮さが多くの人々を惹きつけた
当時サンルーフは後付けとしても人気があった。大胆にもルーフをカットして、そこにキャンバス地のカバーをセットするというアレンジ。今では考えられない工法だが、安全性や耐久性などさして考慮していない時代だったから許されたのだろう。そうしたものに比べたら純正装備であるばかりかスイッチONで一部とはいえルーフが開くのは画期的だった。ましてやそれがクーペボディで標準装備となれば「言うことなし」だったのである。
プレリュードの電動式サンルーフの好評ぶりはたちまちライバルメーカーの追従を招くこととなる。サンルーフは日差しが少ないヨーロッパで発展したシステムだけに、こと日本ではファッション性が高かった。走行中に天井にあるスイッチを押すだけで、スルスルとルーフの一部が開き、見上げればそこに空があるという新鮮さが受け、運転手はパフォーマンスとしてサンルーフを開閉したりもしていた。そんな時代だったのである。
この電動式サンルーフは万が一のトラブル発生時には手動対応が可能だった。付属の小さなレンチを差し込んで回せば、ちょっと力が必要だったが閉めることができたのだ。まあ、まずはそんなことはなかったけど。
ホンダの電動式サンルーフへのこだわりを感じさせたのが1983年登場のバラードスポーツCR-Xだった。ルーフ本体が小さかったため、何とアウタースライド方式で電動式サンルーフをオプション設定していたのだ。「そこまでしなくてもいいのに~」と思わずにはいられなかった。
振り返れば初代プレリュード以降、80年代半ばあたりまでは電動式サンルーフは、ガラスタイプになったりしながら多くの車種にオプション設定されていたものだった。今ではとんとお目に掛からないアイテムだが、やはり喫煙率の動向と関係しているのだろうか。それはともかく、電動式サンルーフのパイオニアはホンダだったと言うお話でした。