河原良雄
自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員のフリーランスライター。
連載:ホンダ偏愛主義
インパクト大!!
オープンカー好きなホンダが放った57年前のオープンカーとは?
ホンダはオープンカーが好きなメーカーだ。1963年、ホンダの小型車第一号となったのがオープン2シーターのS500であることがそれを象徴している。後発だったホンダがスポーツカーのジャンルに打って出るしかなかったのも事実だがインパクトは大きかった。その後、SシリーズはS600、S800へと発展し1970年をもって生産終了となる。
そして1984年に何とコンパクトカーのシティにオープンモデルのカブリオレ(※)が追加される。もうそりゃ大ニュースだった。全長わずか3,420mm、現在の軽自動車並みのボディの屋根をぶった切って4座オープンに仕立てたのだ。
※カブリオレ=主に欧州車に呼ばれる折りたたみ式の幌が搭載されたオープンカーのこと。
今で言えばN-ONEカブリオレ(ないけどね)を想像してもらえばわかりやすいかも。で、当時の世界を見渡せばフォルクスワーゲン ゴルフやフィアット リトモにカブリオレがあったがセグメントは上、最もシティに近いのがフランスのタルボ サンバだ。
サンバはシティと同じく幌(※)のデザインはイタリアのピニンファリーナの手になる。シティ カブリオレを手放してから、しばしサンバ カブリオレが手元にあった身としては「同じじゃん?」と思えるほど酷似していた。
*幌(ほろ)=雨や砂などを防ぐために車両を覆うための防水布。 トラックやオープンカーなどに用いられている。
時期もボディサイズも被っていただけに「ピニンファリーナさん、もしかして流用?」と疑ったほど。幌自体はインシュレーターが入っていて厚さ10mm。ゆえに後方に畳むとゴルフと同じように盛り上がるタイプ。カバーを掛ければすっきりするがその脱着は面倒。リアウインドウはガラスだったし、リアクォーターウィンドウも下げられるなどは「さすがピニンファリーナ」。前席後方にオーバーヘッドバーを設置。そうタルガバンド風に、だ。
これはボディ剛性保持には必須だったはず。とは言え、走行中ボディがたわむのが体感できるほどユルユルだった。1.2Lで67psの実用車だから許されたのだろう。1981年にデビューして毎年のように追加モデルをリリースし続けていたシティにとっては、カブリオレは話題提供が一義だったのかもしれない。12色も揃えたボディカラーや、ファブリックとビニールレザーが選べたシートなど楽しみいっぱいだった。
私が所有していたのは明るいほうのグリーンボディで内装はブラックのビニールレザー。走れば遅かったけど楽しいクルマだった。
オープンカーの醍醐味
──エンジン音と風がシンクロした時のクルマとの一体感
その後、1991年に軽自動車ながらミッドシップ2シーターのビート、1992年に電動トランストップを備えた2シーターのCR-Xデルソル、そして1999年にはホンダにとってSシリーズ以来のFRとなる2シーターのS2000とオープンモデルをリリースする。
こと日本でのオープンカー需要は微々たるものだと思う。にもかかわらずホンダがオープンにこだわるのはオートバイメーカーでもあるからに違いない。オープンカー好きは大概オートバイも好き。そこには風を切る気持ち良さが共通している。エンジン音と風がシンクロした時のクルマとの一体感こそオープンカーの醍醐味であるからだ。
こうして振り返ると36年も前にはなるものの、コンパクトカーのシティの屋根をぶった切り、幌のデザインをピニンファリーナに頼んでカブリオレを仕立てたホンダの勇気に拍手を送りたい。何しろ件のオーバーヘッドバーのサイドには「Pininfarina」のエンブレムが付く。こんなホンダ車、他にはないのだから。