だ。ここでは各マシンにまつわるエピソードと一緒に、その車両を紹介しよう!
小さな巨人
AGS JH23(1988年)
南フランスのチームであるAGS(Automobiles Gonfaronaises Sportives)は、F3、F2、F3000を経て、1986年の後半からF1に進出。その1988年用のマシンがJH23である。
小型、低重心かつシンプルな設計で、ドライバーにはF2、F3000時代に同チームで活躍したフィリップ・ストレイフを起用。
エンジンは他チームと比べ非力なコスワースDFZながら、カナダGPでは予選10位、決勝では一時4位を走行する速さも見せた。小規模チームゆえの信頼性の低さが弱点だったが、鈴鹿の日本GPではシーズン最高位の8位完走を果たすことになる。
V型8気筒のNAエンジン搭載
Williams FW12(1988年)
1986年から2年連続でホンダエンジンとのタッグでコンストラクターズ・チャンピオンに輝いたウイリアムズだったが、1988年はホンダエンジンの供給を受けることができず、イギリスのレーシングエンジンビルダー「Engine Developments Ltd.」が手掛けるジャッドエンジンを搭載してシーズンを戦った。
ターボエンジンが禁止される1989年を見据えて前倒しでNAエンジンを使用。レギュラードライバーにナイジェル・マンセルとリカルド・パトレーゼを起用。アクティブサスペンションへのトライやエンジンの信頼性不足でリタイヤは多かったものの、マンセルが2度、2位表彰台に立っている。
ナニーニの初優勝を飾ったマシン
Benetton B189
1989年からターボエンジンが禁止されるが、それを見越したベネトンは前年から自然吸気のV型8気筒コスワースDFRエンジンを搭載してシーズンに臨んでいた。
1989年は新規開発となるV8・3500cc HBエンジンを搭載したB189をシーズン途中から投入。アレッサンドロ・ナニーニ、エマニュエル・ピロがステアリングを握ったが、当初は信頼性が低く、前年ほどの成績を残せなかった。しかし、第15戦・日本GPではナニーニが自身初の優勝を飾っている。
悲運続きの1年を闘った
Lotus 101(1989年)
1988年でターボエンジンが禁止され、翌89年は3500cc NA(自然吸気)エンジンのみとなった。それまでHondaのV6ターボエンジンで戦ってきたロータスは新たに101を投入。エンジンはV型8気筒のジャッドエンジンを搭載。
ドライバーは引き続き中嶋悟とネルソン・ピケを起用して戦ったが、チームの不協和音やマシンの信頼性に悩まされ両ドライバーともに思うような結果を残せずに終わってしまう。日本GPではピケが予選11位、中嶋が12位からスタート。ピケは見事に4位入賞を果たしたが、中嶋は後半、マシントラブルからリタイアとなった。
ハイノーズによる革新
Tyrrell 019(1990年)
これまでフロントノーズ部分は可能な限り低くするのが常識であったF1の世界に革新をもたらせたのがティレル019。フロントノーズ位置を高くし下側に空間を作ることで、より多くの空気を取り入れてダウンフォースを向上させる「ハイノーズ」デザインを採用。
1990年のシリーズ第3戦にデビューすると、いきなりジャン・アレジが6位入賞。第4戦モナコではトップを走るアイルトン・セナの背後に迫る走りを見せ2位表彰台を獲得した。
中嶋悟も第15戦・日本グランプリで6位に入る活躍をみせるなど、多くのファンの記憶に残る1台といえる。