わずか2年で消えていった、悲運の革新車!
プロジェクトを意味する「P」を番号の前に与えられたティレルP34は、その名が示すとおり実験車的な仕様が特徴のF1マシンでした。その最大の特徴は計4本のフロントタイヤ・・・後輪側2本と合わせ、6輪という構成をP34は採用していたのです!
1970年代、ティレルのデザイナーとして活躍していたデレック・ガードナーが考案した「6輪」は1975年に完成し、翌1976年シーズンから実戦に投入されることになりました。前4輪の径を一般的なサイズのF1用ホイールより小さくすることで、空気抵抗の低減を狙ったP34はシーズン序盤から高パフォーマンスを発揮し、第6戦スウェーデンGPではついにジョディ・シェクターとパトリック・ドゥパイエが1-2フィニッシュを達成しました!
1976年シーズンは、ドライバーズランキングではシェクターが3位、ドゥパイエが4位を獲得。そしてコンストラクターズランキングで、ティレルは3位となりました。
そして、1977年シーズンは新加入したロニー・ピーターソンとドゥパイエが改良型P34をドライブすることになりますが、この年新参入したミシュランタイヤとの競争に専念するため、P34用10インチタイヤ供給元のダンロップはP34用タイヤの開発を停止してしまいました・・・。
その結果P34は戦闘力の低下を余儀なくされ、ティレルは苦しい1977年シーズンを戦うことになってしまいました。また、シーズン途中に生みの親のガードナーも離脱してしまい、結果ティレルP34はこの年限りでF1の表舞台から去ることになりました。
P34が走る姿を見ることができるのは、滅多にない機会です!!!
日本のベテランファンには、映画「ラッシュ」でも描かれた1976年最終戦、F1世界選手権イン・ジャパンでのP34を見た方もいらっしゃるでしょう。雨の富士スピードウェイで、ドゥパイエが2位に入ったレースをライブで見れた方は、本当に貴重な体験だったと思います。
F1からティレルP34が去って約40年経った今、P34が走る姿を実際に見ることができる機会はそう多くはありません。1999年からP34は旧式F1によるシリーズ戦「サラブレッドGP」に参戦していますが、2012年シーズンを最後に参戦をやめています。
「SUZUKA Sound of ENGINE 2019」では、1980年代〜1990年代にミナルディF1チームなどのドライバーとして活躍したピエルルイジ・マルティニが来日参加するのですが、なんと現在実業家・投資家として活動する氏はレーシングカーコレクターでもあり、2台のタイレル6輪・・・ティレルP34/2とP34/5を所有しているのです!
レーシングカーコレクターのなかには、所有車両を走らせることなく死蔵させるタイプの方もいますが、マルティニは鈴鹿サーキットでは初走行となるP34とともに、はるばる日本まで来てくれるのです! なんともありがたいですね!
ミナルディ時代に日本GPで鈴鹿を走ったマルティニが、ティレルP34とともにどのような走りを披露してくれるのか・・・。「SUZUKA Sound of ENGINE 2019」を楽しみにしましょう!