ゼロからホンダが構想したわけ・・・ではないみたいです
ホンダは1980年代、アメリカAMAのダートトラックでのファクトリー活動を展開し、見事チャンピオンを獲得しています。このストーリーが語られるとき、そのスタート地点としてのオハナシとして必ず? 紹介されるのが、天才F.スペンサーのために作られたと言われている特別なダートトラッカーです。
量産市販公道車のCX・GLシリーズを魔改造? したスペシャルマシンが、F.スペンサーが乗ったダートトラッカーですが、この手の車両ってそもそもF.スペンサーが「最年少AMAタイトルを欲しいから」という理由だけで生まれたわけではありませんでした。
確かにスペンサーは当時、ダートトラック競技で勝てるマシンをホンダに欲したのは事実です。ただ、スペンサーのリクエストでCX・GLのエンジンを流用したダートトラッカーを、スペンサーのためにホンダが構想ゼロから開発したわけではない・・・ということなのです。
1954年以降のGNCで大活躍したハーレーダビッドソン打倒を目指す・・・
第二次世界大戦後の1954年から米国AMAの2輪モータースポーツ最大の栄誉、GNC(グランド・ナショナル・チャンピオンシップ)は、3つのダート・・・マイルレース、ハーフマイル、TTに加え、アスファルト上のロードレースの4部門での総合成績優秀者に与えられることになりました。
この分野で最も強さを発揮したのが、米国の雄であるハーレーダビッドソンでした。戦後は伸張著しい英国製2気筒勢の攻勢にハーレーは晒されることになりますが、オーバヘッドバルブは500cc、サイドバルブは750ccという平等かどうかアヤシイ(苦笑)AMA クラスCのルールもあって、ハーレーはほとんどの王座を得ることに成功しました。
やがて英国製2輪が経済的問題で衰退していく1970年以降、排気量上限750ccに統一され、ハーレーのライバルは英国車に代わり日本車になっていくことになります。しかし、ロードレースではそんなに活躍できなかったOHV2気筒のXR750ですが、サイドバルブのKR時代からのノウハウの蓄積により、XR750はダートトラックの世界では安定した成功をおさめました。
そしてダートトラックでの成績の重要度が高いGNCだったルールが活きて、やはり名機XR750を擁するハーレーがほとんどの王座を獲得することになったのです(1964年のディック・マン+マチレス、1967〜1968年のギャリー・ニクソン+トライアンフ、1971年のD.マン+BSA、そして1973〜1974年のケニー・ロバーツ+ヤマハが、1954〜1978年までのGNC王者争いにおける数少ない例外でした)。
そんな状況にあった1979年当時、かつてK.ロバーツと組んで活躍したチューナーであるジェリー・グリフィスが非常に興味深いマシンを製作しました。ライダーとして活躍したダグ・チャンドラーの義父でもあるグリフィスは、そのころジェフ・ハニー用のホンダ500ccシングルのダートトラッカーを手がけていました。
彼のために単気筒のXR500より馬力のあるマシン・・・を求めたグリフィスは、OHV4バルブVツインのCX500エンジンに着目。これを90度向きを変えてフレームに搭載し、シャフトドライブからチェーン駆動に変更したスペシャルマシンを製作しました。
グリフィスのアイデアを、チャンピオンマシンに昇華させたHRC
ホンダは1979年から、AMAのGNC制覇への挑戦を開始。ミッキー・フェイは同年のヒューストンのTTでホンダにとって初のGNC対象レースでの勝利をXR500ベースのマシンでプレゼントしました。
そしてグリフィス作のCX500改は、サンノゼのマイルレースで入交昭一郎の目にとまることになりました。1979年に39歳の若さでホンダの取締役になった入交は、グリフィスの作に夢中になり数多くの写真を撮影しました。
この入交が得たインスパイアは、やがてホンダのレース部門であるHRCにサイドワインダーことNS750を作らせることになりました。1981年登場のNS750はハーレーのXR750相手に苦戦しますが、1982年にルイビル・ダウンズのハーフマイルで、スコット・ピアソンがNS750の初勝利をホンダにプレゼントしました。
ピアソンのほか、F.スペンサーやマイク・キッドが乗った1982年型NS750ですが、NS750がGNC対象レースで優勝したのは、先述のピアソンの1勝が唯一でした。しかし、NS750のデータを活かして生まれたRS750Dに乗ったリッキー・グラハムが、ホンダ初となるGNCタイトルを1984年ホンダにもたらし、1985〜1987年はババ・ショバートが3連覇の偉業を達成しました。そして1993年には、再度R.グラハムがホンダにGNCタイトルをプレゼントしています。
アメリカ側の着想の素晴らしさ、そしてその価値を正当に評価した日本側の素晴らしさ・・・この2つの文化が1980〜1990年代のホンダ車のGNCでの活躍と成果に結びついたわけですね! とかくポルノ的なナショナリズムが表に出やすい昨今、互いの持つ価値を認め合うことの素晴らしさを、ホンダ製ダートトラッカーの栄光は私たちに改めて教えてくれるような気がします。