アメリカのツインレースや耐久レースで活躍!
アメリカのペンシルバニア州で歯科医を営んでいたDr.ジョンは、モト・グッツィVツインの熱烈な愛好家でした。なんと彼はその愛情が暴走し? 歯科医の仕事を辞めてエンジニアリングの勉強を始めて、モト・グッツィVツインのレース活動に専心してしまうのです! Dr.ジョンとは、その前職を指しての敬意を込めての愛称・・・というわけなのです。
歯科医という本業をポイ〜してまで、モト・グッツィに人生を捧げる・・・まさにこれは「博士の異常な愛情」ですね。あれは単なる固有名詞である人名を、邦題にアレンジしただけですけど(笑)。ともあれDr.ストレンジラブ・・・もといDr.ジョンは、映画の内容のように世界の存亡を左右するようなことはありませんでしたが、少なからず米AMAのロードレース業界を震撼させることになりました。
彼の作ったチューンド・モト・グッツィVツインは2気筒車対象のBOTTなどのツインレースだけでなく、1984〜1985年の日本製4気筒スーパーバイクが参加するAMA耐久シリーズでも大活躍! こちらの動画は、その当時のレースのひとつ、1985年のデイトナ耐久(ポール・リビア250)で優勝したときの、Dr.ジョンのチームの活躍を収録したものです。
また、1987年には全米プロツインのタイトルを、Dr.ジョンのチームライダーであるダグ・ブロウネックが獲得! ドゥカティVツインをはじめとする強力なライバルを相手に、1950年代後半の軍用トラクターもどき(失礼)のエンジンをベースとする空冷90度VツインOHV2バルブが勝利をおさめることは、多くの人を驚かせたことはいうまでもありません。
安定した地位を捨てても、マシンへの愛に殉じる・・・人間万歳ですね!
アメリカにおけるDr.ジョンの活躍は、イタリア本国のモト・グッツィ社も注目しました。そして同ブランドを所有するアレッシャンドロ・デ・トマソは、Dr.ジョンに試作のVツイン・OHC4バルブエンジンを託し、レーサーの開発を委託します。
なお、このエンジンは1950年代、世界ロードレースGPのモト・グッツィ黄金期の活躍を支えたエンジニアのひとり、ウンベルト・トデロがデザインしたものでした。そして1988年デイトナのツインレースで、デビュー戦にのぞんだDr.ジョンの4バルブレーサーは3位を獲得。この上々の成績を受けて、イタリア側は正式にこの試作エンジンを使った市販車開発の協力を、Dr.ジョンに要請します。
その開発史を読むと、あっさり数行で書くのは申し訳ない気もしますが、異国の地との新型車の開発にはDr.ジョンは相当苦労したみたいですね・・・。ともあれ、1989年のミラノショーで試作車を公開した新型4バルブ車は、1992年より完成車として仕上がったデイトナ1000は、世界へデリバリーを開始しました。
我ら凡人は、「安定した歯医者の仕事続けて、趣味でモト・グッツィを遊べばいいのに」と考えてしまいますが、このような「博士の異常な愛情」こそが、ヒロイックかつ面白い、モーターサイクルの物語を紡いでくれるのかもしれません。
一度しかない人生と人間の命・・・ボヤっと生きて過ごすより、周囲に異常と言われても何かに没頭するような人生を送れるよう、我々もささやかでも努力しないといけないですね! Dr.ジョンの生き方には、人生で大事なものは何かを、学ばせていただけた気分になります。