テクノロギーが人間を超え、一部の人間のみが支配する世界
イギリス産業革命時にも起きた人間対機械の戦い。確かに機械が人間に変わることによって効率は格段に上がる。株主のために利益を出すのが企業の使命であれば一理はあるが、働いている人たちが仕事があることで余暇の時間を好きなように過ごせることで社会の平和が保たれるのもまた一理、
また効率化で価格が下がり広い層に新しい技術が広まるのもまたしかり。
AIによる効率化、監視、予測などが世界を管理(=支配)していくとどうなるのか。色々な予見がありますが、ぜひ雑誌「Forbes」に連載中の波多野聖氏の「BUTTERFLY DOCTRINE」を読んでみてください。
人間の域を超えたコンピューターによる統治。それをコントロールできる唯一の人間がさらにそれを超える機械(有機系)を作り出すも、管理する人間を超える可能性を見せつけ、またそれを人間が抑えつける。
と読んでいるとなんだかドッチもドッチでなんでこんなに世界を支配やコントロールしたいのだと思えるのですが。出てくるレジスタントのような存在のリーダーの放つ「根源」という言葉に印象を受けます。
躍り狂うことで人間の本来の姿や感情が思い起こされる、、、
地面とつながる=アーシング
いま「アーシング」というのが再認識されていますね。
「アーシング」とは地面とつながることで体の中の不要なエネルギーを大地に流し、また大地からエネルギーを吸収すること。
確かに子供は靴下を嫌がります。家に帰ってきたらまずは靴下を「ぽーんっ」と投げ捨てますね。また木のフロアだと裸足でいるほうが気持ちよかったり。
芝生の上を裸足で歩くのを想像してみてください。もしくは砂浜の上を。
ただ歩いているだけでも体のエネルギーが循環し、好調になります。
コンポスト
またアーシングとは違いますが、「コンポスト」も同じく現代の生活と地球をつなげる方法ですね。
コンポストとは家庭から出た生ゴミ、残飯などを発酵させて肥料に変えること。
また生ゴミからバイオガスを生成して燃料として使うシステムもすでに存在しています。
これがあれば家庭から出る生ゴミ(地球に帰せるのでゴミではない!)がエネルギーとなり、肥料にもなる。地球の有機エネルギーの循環が完成し、ごみ問題も減り、環境へも貢献できる。
1969年 アメリカの若者たちが熱狂したムーブメント
で、本題の「Woodstock」に戻りますが。このイベントは神話的に語り継がれているミュージックフェスです。最初の開催が1969年。それからリバイバルで何回か行われていますが、やはり伝説は1969年でしょう。
当初、1万人から2万人程度の入場者を見込んでいたが、実際はそれをはるかに上回る40万人以上が詰めかけた。主催者側も予想していなかった多くの人々に、施設は混み合い、トイレなども不足していたが、参加者は食べ物などを分け合い、暴力事件などは報告されていない。
またトラクターでの事故で1人、薬のオーバードーズで1人が死亡したが、同じくこのイベント中に新たな命が2つ産まれた。
当時の錚々たるミュージシャンたちが参加し、雨の中でも多くの人が音楽という無形のものを体で感じた。
ウッドストック・フェスティバルは、カウンター・カルチャーを集大成した、1960年代のヒューマンビーインと呼ばれる人間性回復のための集会でもあり、音楽イベントとしてのみならず、ヒッピー時代の頂点を示す象徴と捉えられている。
現代の(2017年)の日本でも「フェス」と呼ばれる郊外で行われるイベントが音楽の世界での主流となってきています。特に若者たちの間では「フェス」で音楽のみならず物販や、交流などを通してコミュニティーを形成。自給自足に近づく動きも見せている。
Burning Man
また「思いやり」という人間社会の原点に戻るイベントが、「バーニング・マン」。砂漠のど真ん中に集まり、各々が自己を表現して生活を供にするこのイベントでは
会場は、外部の世界から地形学的にほぼ遮断されており、電気、上下水道、電話、ガス、ガソリンスタンドなどの生活基盤は整備されておらず、一般のテレビ・ラジオ放送、携帯電話などもサービス提供範囲外となる。 売店や屋台、食堂なども一切ない。主催者側が用意するのは、自然環境保護のため必要とされる仮設トイレ群と食料の鮮度を維持するための氷のみである。
参加者は生存に必要となるすべてを自らで用意しなくてはいけない(水、食料、衣類、住居、燃料など)。
この劣悪な自然環境下で生きていくためには、おのずから隣人たちと助け合う必要に迫られるのである。ここでは貨幣経済や商行為は忌むべきものとされており、明確に禁止されている。見返りを求めない「贈り物経済」(Gift economy)と、なによりも「親切なこころ」が共同体を成立させている(物々交換や、物とサービスの交換は推奨されていない)。
参加者がそれぞれにサービスを提供。そのサービスも単純な食料や衣服だけでなく、
絵画や彫刻などの制作
舞台演劇
パントマイム
楽器演奏
ジャムセッション
大道芸
ファイアー・ポイ
フラフープ
トランポリン
ウエイトトレーニング
ローラーディスコ
DJ
ボディペインティング
瞑想
ヨガ
マッサージ
パン焼き教室
鉄パイプ溶接教室
自転車修理/改造
セスナ機での遊覧飛行
スカイダイビング (Wikipediaより)
などとかなり多種に渡ります。
人と人がそれぞれの得意なことを分け合い、共同体を作り上げる。気持ちが通貨の役割をしている社会を経験することで実生活での感覚も研ぎ澄まされるのでは。
ではなぜ「Woodstock」なのか
すべてがシステマチックに機能し、効率が高められ、それによって生産性が高められる。ではその後はどこに向かうのだろうか?人が生きていくのに必要なものやリソースを保つために働く時間はどのぐらい必要なのだろうか?
人間が社会的な人間として生きるのに最低限必要なのは食料と屋根(寝るところ)である。無論それだけでは人生という与えられた幸せを満喫はできない。
そこに仲間や家族など時間を共有する集団があることで生きるのに十分な忙しさを手に入れることができる。
また効率の高められた社会ですべてが揃ったときに更にそれを改良や洗練して質を高めるのも一つだが、どこで満足かを見出す必要はある。
だからこそ「Woodstock」の世界観を頭でなく体で感じることが大切で、今の世界のネットワークであれば世界同時開催も可能。いいじゃない、2、3日ぐらい狂乱の世界に身を投げて混沌の流れに身を任せるのも。シンプルに生きる楽しさを感じられることが人間の最大の効率化なんだから。
更には高度成長の中で育った今の高齢者の人たちにこの体験をしてほしい。バブルの狂乱とは違う自然の中での狂乱も新しい体験になるはず。
「Woodstock 1969」からもうすぐ50年。あえて数字のマジック(50周年記念!みたいなの)を無視して来年とかに開催することで混沌としている世界に先手を打たないと!
と、一端の私が偉そうに色々と書いてみましたが、これ読んだ誰かが全ての世代が心躍るイベントやってくれたら嬉しいな〜。ぐらいで受け止めてください。