メル・ギブソン監督作品。太平洋戦争末期の沖縄での激闘の中、武器を持つことを拒否して衛生兵になった一人の男が見せた奇跡の実話を描く。

信仰と信念に忠実のあまり武器に触れることなく戦争に参加した一人の男が見せた奇跡

主人公デズモンド・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)は信心深いキリスト教徒。生まれ故郷であるヴァージニア州で、第一次世界大戦でのPTSDによってアルコール中毒となった父親と、優しい母親、そして仲の良い兄との4人家族で暮らしていた。
あるとき偶然出会った美しい看護婦と結婚の約束をするが、同時に激しさを増す日本との太平洋戦争に心を痛め、軍需工場で働いていることで兵役を免れている自分を恥じるようになっていた。

デズモンドはやがて自ら陸軍に志願するが、彼には戦地に行くには大きな問題点があった。それは信仰に篤いばかりに一切の武器に触れられない、というもの。デズモンドは敵を殺す代わりに、衛生兵となって傷病兵を救ける役目を担いたいと提案するが、周囲はそんな彼を理解せず臆病者として迫害する。
それでも信念を貫き通した彼は、やがて仲間たちとともに戦地である沖縄に赴く。そこは、多くの戦死者を出し続ける激戦区。
デズモンドと部隊の前には巨大な崖=ハクソー・リッジ(のこぎり崖)がそびえ立つ。ハクソー・リッジを登り、立てこもる日本軍との激烈な戦闘に向かうが、デズモンドの手には最後まで武器が握られることはなかったー。

一人で75人の命を救ったという、戦史に稀にみる奇跡的な男の人生を描いた、メル・ギブソン監督のヒューマンドラマ。

ハクソー・リッジとは…〉第2次世界大戦の激戦地・沖縄の前田高地のこと。多くの死者を出した壮絶な戦いの場として知られている。ハクソーとはのこぎりで、リッジとは崖の意味。150メートルの断崖絶壁の崖が、のこぎりのように険しくなっていたことから、最大の苦戦を強いられたアメリカ軍が、“ハクソー・リッジ”と呼んだ。

日本人としては複雑なシチュエーションながら、戦争の悲惨さと人道的な行為への強い感慨を受ける、良い作品

作中、デズモンドは周囲から やや軽蔑を含んだニュアンスで”良心的兵役拒否者”と呼ばれるが、彼自身は”良心的兵役協力者”と自称する。デズモンドには従軍をしないという選択肢があったにも関わらず、自ら志願したからだ。

有名なところだと、故・モハメド・アリ(当時は本名のカシアス・クレイ。元ボクシング世界チャンプ)が良心的兵役拒否者と言えるだろう。彼の場合は、このために世間のバッシングを受け、世界タイトルやボクサーとしてのプロ資格を剥奪されるなどの強い迫害を受けたが。

そしてデズモンドは自らの信念を証明するかのように傷ついた兵士の治療を行い、戦地からの脱出を成功させ、多くの人命を救う。

本作はプロモーション上戦地が沖縄であり戦う相手が日本兵であることはほとんど謳っていない(日本国内での反発を避けるためだろう)。作品としてはこれまでの戦争映画とは一線を画す激しい描写が多く、歩兵同士の戦いだけということもあって飛び交う銃弾や手榴弾などの比較的近距離の戦闘に終始するがゆえに、簡単に、そして激しく損傷する人間の肉体を生々しく描いている。戦争の恐怖というか、敵味方が殺しあうことの根源的な恐怖を強く感じられる演出になっているのだ。

それだけに、恐怖は敵への憎悪や殺意に転嫁しそうなものだが、舞台が沖縄、殺すべき敵が日本兵であるということから、正直我々日本人からすると素直にその殺意に共感することができず、激しい戦闘の描写の中で複雑な想いを抱えずにはいられない。逆に言えば、仲間の危機を簡単に敵に対する闘志に変換できないことが、かえって戦争というものの非道さ・残酷さを、我々は冷静に見つめさせる、と言えるかもしれない。

主人公デズモンドは作中、終始敵(=日本軍)への敵意を示すことはないし、ただひたすら傷つき斃れた仲間を救おうとする。そして、その行為の中で日本兵をも治療し救助するシーンが出てくる。それはメル・ギブソン監督として精一杯の日本への配慮であったのかもしれないし、実際に戦闘に参加したデズモンド・ドス氏本人が本当にそういう人であったのかもしれないが、ともかく日本人として観ている我々にとっての小さな救いでもあった。

本作は、一人の稀有な英雄の話でもあり、戦争を二度としない、したくないと考えるための良いメッセージでもある。構成も表現も非常に卓越した良い映画であると思う。

画像: 『ハクソー・リッジ』本予告編 www.youtube.com

『ハクソー・リッジ』本予告編

www.youtube.com
コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.