ドゥーハンの要望で生まれた"スクリーマー"
1992年、ホンダは1軸クランクシャフトの"位相同爆"エンジンを採用するNSR500を生み出しました。そしてそのシーズンの開幕から7戦を消化して、ミック・ドゥーハンは優勝5回、2位2回と好成績をあげますが、第8戦ダッチTTでドゥーハンが大クラッシュ! 足を切断するかという大怪我を負ってしまいました(最終ランキングは2位)。
翌1993年もドゥーハンは怪我の影響で調子が上がらずチームメイトのダリル・ビーティーの3位に劣る4位に終わります。しかし、ホンダの位相同爆V4=ビッグバンは2ストローク500ccの大パワーを、等間隔爆発よりも扱いやすく、結果的に速く走れるエンジンとしてライダーたちからは好評でした。
そのポテンシャルが花開いたのは1994年。ドゥーハンは9勝をあげ、さらに全14戦で表彰台に登壇する安定感で、自身初の最高峰タイトルを獲得します。そして1995、1996年もタイトルを防衛し、最高峰3連覇を達成しました。
そして1997年、ドゥーハンは初めてエースの地位からNSR500に大きな変更を開発陣にリクエストします。NSR500の強さの源泉のひとつだった"ビッグバン"ではなく、等間隔爆発=スクリーマーのエンジンを求めたのです。さらなるタイトル連覇更新のモチベーションを維持するため、実績あるビックバンではなく、スクリーマーのNSR500を王者ドゥーハンは選んだのでした。
王者ドゥーハンが愛用したスクリーマー
その結果1997年シーズン、ホンダは15戦15勝という圧勝の記録を残しました。4連覇したドゥーハンが12勝。チームメイトのアレックス・クリビーレと岡田忠之はそれぞれ2勝と1勝しています。当初ほかのホンダライダーはビッグバンを選び、ドゥーハンしかスクリーマーを選択しませんでしたが、次第に他のNSRライダーもビッグバンではなくスクリーマーに挑戦しようと試みます。しかし、1998年は岡田もクリビーレもスクリーマーに乗るものの、ドゥーハンほどにはスクリーマーを使いこなせませんでした1988年にNSR500とともに驚異の最高峰5連覇を達成したドゥーハンは、1999年に6連覇に挑戦します。しかし、第3戦スペインで大転倒を喫したドゥーハンは大怪我を負い、結局これが原因で引退を強いられることになりました。そしてこの年は、NSR500を駆るクリビーレがスペイン人初の最高峰王者になり歴史にその名を刻むことになったのです・・・。
1990年以降、タイトルの座から遠ざかっていたHonda NSR500だったが、1994年にミック・ドゥーハンの手によってタイトル奪取。その後1998年までHonda NSR500×ドゥーハンは5年連続でチャンピオンの座に輝いた。1997年はドゥーハンが15戦中12勝と圧倒的な強さでシーズンを制し、以下、岡田忠之、青木宣篤、アレックス・クリビーレ、青木拓磨までのTop 5をHonda NSR500ユーザーが占めた。