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「RICHARD MILLE SUZUKA Sound of ENGINE 2017」に参加予定の車両を紹介する当連載!
今回は『マスターズ・ヒストリック・フォーミュラ1』のデモンストレーションに参加予定の、マルボロカラー時代初期のマクラーレンM26を紹介します。

映画「ラッシュ/プライドと友情」でお馴染みの、名機M23の後継として登場

1976年にデビューしたM26は、年のはじめのころにデザイナーのゴードン・コパックが開発をはじめました。開発の動機は1974年にエマーソン・フィッティパルディがドライバーズチャンピオンを獲得し、そしてチーム初となるコンストラクターズチャンピオンを獲得した名機、M23が時代遅れになる前に後継機種を・・・ということでした。

M23よりも軽くて低いM26のモノコックシャシーは、前面投影面積を少なくしたフォルムが特徴でした。M26の初完走は1976年第12戦オランダGPで、ヨッヘン・マスが9位になっています。しかし活躍が期待されたM26ですが、熟成が進まず翌1977年は旧型M23が使われるレースも少なくありませんでした。

画像: マスターズ・ヒストリック・フォーミュラ1に出場するMcLaren M26。 (C)Copyright MOBILITYLAND CORP. All Rights Reserved.

マスターズ・ヒストリック・フォーミュラ1に出場するMcLaren M26。 (C)Copyright MOBILITYLAND CORP. All Rights Reserved.

1977年にM26は、ジェームス・ハントのドライブでイギリスGP、アメリカGP、そして日本GPで3勝を記録。ただ、前年の1976年にM23で獲得したドライバーズタイトルの、防衛には失敗してしまいました(ランキング5位)。

 チャンピオンマシンのM23の後継車として設計されたM26。基本的なコンセプトはM23を踏襲するものの、アルミハニカム製モノコックの採用で軽量化と剛性の強化を図っているのが特徴である。76年のイギリスGP後に発表されたM26は、ヨッヘン・マスのドライブによりオランダGPでデビューを果たすが、熟成不足で本格投入は遅れ、No.1のジェームス・ハントが実戦で使用したのは77年第5戦スペインGPになってからだった。その後徐々に実力を発揮し始めたハントとM26は、イギリスGPと日本GPで優勝。続く78年も継続して使用されるが、ロータス79相手にまったく歯が立たず、フランスGPの3位が最上位となった。このM26は主にヨッヘン・マスのレースカーとして使われた車両で、77年のイギリスGPで4位入賞を果たしている。また78年のイタリアGPでは、ハントも決勝でドライブしている。

こちらは1977年日本GP(富士スピードウェイ)を走る、J.ハントとM26の勇姿をおさめたムービーです。このときの勝利が、ハントのF1での最後の優勝になると予想した人は、当時どれくらいいたのでしょうね・・・。

画像: James Hunt in Marlboro McLaren M26 youtu.be

James Hunt in Marlboro McLaren M26

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