"コカ·コーラ"鈴鹿8耐の歴史のなかで、多くの人々の記憶のなかに残るマシンたちを紹介する連載です。今回は1980年代にビモータが生み出した傑作機、YB4です。

フェデリコ・マルティニの名作

ビモータYB4は、鬼才マッシモ・タンブリーニが抜けたあとのビモータで、主任開発者となったF.マルティニが生み出したモデルです。鋼管トラスフレーム・・・で知られたビモータに、新たな骨格として美しい仕上がりのアルミ合金製フレームを採用・・・したのはマルティニの考えからでした。

1987年はバージニオ・フェラーリが駆るYB4のファクトリーマシンが、世界TT-F1選手権を獲得。翌年からはTT-F1に代わりSBK(世界スーパーバイク選手権)が始まることになり、ビモータはSBK用のホモロゲーションモデルとして、YB4E.I.を発売しています。

1988年のSBKファクトリーマシンに乗ったのはダビデ・タルドッツィでしたが、彼は最終戦までランキング首位に立ちながら、最終戦ニュージーランドで転倒! 同じくSBKホモロゲーションモデルとして誕生したライバルである、ホンダVFR750R(RC30)に乗るフレッド・マーケルにタイトルを奪われてしまいました。

この年の鈴鹿8耐には、多くのプライベーターがRC30で参戦しましたが、YB4も数は圧倒的に少ないものの参戦していました。

画像: オランダのファン・デル・ワル・エンデュランスからエントリーしたYB4。残念ながら130周でリタイアでした。なおこの年は後に鈴鹿8耐王者となる、アーロン・スライトもポール・イドンと組んでYB4で参戦しています(結果はこちらも56周でリタイア)。 ©鈴鹿サーキット/(株)モビリティランド

オランダのファン・デル・ワル・エンデュランスからエントリーしたYB4。残念ながら130周でリタイアでした。なおこの年は後に鈴鹿8耐王者となる、アーロン・スライトもポール・イドンと組んでYB4で参戦しています(結果はこちらも56周でリタイア)。 ©鈴鹿サーキット/(株)モビリティランド

なお1990年は、カロッツェリア・レーシングチームからトム・キップ/ドナルド・ジャックス組がYB4で参戦。予選は31位・決勝46位という成績を残しています。また元プロ野球選手の定岡正二が監督を務めるチームサダオカ with ゼンリンもYB4を使用。メディアも注目しましたが、残念ながら147周でリタイアでした。

画像: 当時のビモータ代理店、カロッツェリア・ジャパンが運営するチームから、1990年の鈴鹿8耐に参戦したYB4。その車名が示すとおり、ヤマハFZR750用のジェネシス水冷並列4気筒DOHC5バルブエンジンを搭載しています。早くも電子制御式フューエルインジェクションを採用していたのも、YB4の特徴でした。©鈴鹿サーキット/(株)モビリティランド

当時のビモータ代理店、カロッツェリア・ジャパンが運営するチームから、1990年の鈴鹿8耐に参戦したYB4。その車名が示すとおり、ヤマハFZR750用のジェネシス水冷並列4気筒DOHC5バルブエンジンを搭載しています。早くも電子制御式フューエルインジェクションを採用していたのも、YB4の特徴でした。©鈴鹿サーキット/(株)モビリティランド

なお世界耐久選手権では、1987年の第3戦モンツァ(イタリア)でV.フェラーリ/D.タルドッツィ組がファクトリーYB4で優勝しています。海外メーカーがファクトリーチームで参戦することがほとんど無い鈴鹿8耐ですが、もしビモータ・ファクトリーが当時参戦していたら・・・を夢想してしまいます。

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