男の秘かな愉しみはそれだけではなかった。男にはライバルがいた。ピンクのカタナを駆る男。二人は毎日ゴールのない戦いをしているのだ。
月刊オートバイ2017年7月号特別付録 RIDE「The Avid Zone」より
会社に隠れてバイク通勤をする野崎の愛車はYAMAHA RZ250
「どうした野崎!?呑みいかないのか?」と同僚たちが私の背中に声をかけた。
ちょっと用事があって、と私は会釈しながらも歩みを止めずに言った。「つきあいわるくてゴメンヨ」
同僚たちは仕事帰りの憂さ晴らしに、最近全くつきあわない私を不審に思っていることだろう。
将来の転職にでも備えて資格でも取りにどこぞの学校に行っているのか、それとも身分不相応な若い愛人でもこしらえたか。
人に言えぬ道ならぬ恋、というのは少し当たっているかもしれない、と私は思った。
ただ私が恋している相手はオンナじゃあない。それどころか人間でもない。機械仕掛けの神=YAMAHA RZ250だ。
私がハマっているのは朝夕のバイク通勤だった。
私が勤めている会社はバイク通勤は禁止だ。だから誰にも言えないが、この歳になっても人目を忍ぶような背徳的行為はゾクゾクするものだ笑。私はすっかりRZでの通勤が癖になってしまい、いまではとてもやめられなくなっていた。通勤のラッシュアワーが楽しみなくらいだ。
通勤ライダーにはライバルがいた。ピンクのSUZUKI カタナだ。
オフィス近くのガソリンスタンドに預けたRZを受け取り、風除けのジャケットでスーツを隠すと、私は勢いよく通りを駆け出す。
朝夕のラッシュ時は当然車も多いし、バイクもまた結構走っている。渋滞する車の中を右へ左へとすり抜けるのはアドレナリンが全身の毛穴から吹き出しそうなくらいエキサイティングだ。だからついついラインどりも過激になる。
それだけでも十二分に楽しいバイク通勤だが、私には”ライバル”がいたから余計に燃える。
それはピンクのカタナ。ライダーはおそらく私と同じくらいの年配だろうが、走りは舌打ちしたくなるほど激しく速い。
カタナに出会ったのは去年の暮れだ。毎朝新宿の大ガードの信号にひっかかるたびに、私は横断歩道の白線をタイヤマークで塗りつぶすのを孤独な愉しみの一つにしていたのだが、あと一本で出来上がりというところで、あろうことか一台の大型バイクが私の目の前で塗りつぶしたのだ。
それがそのカタナだった。
そうさ、会いたいと思えばいつだって出くわす。それがライバルっていうものさ
それ以来、私はそのピンクのカタナを目の敵にしてきた。もちろん憎い相手というわけじゃない、ただそのカタナのダンナとは、いつしか互いを意識し合い、出くわすたびにゴールのない競争を仕掛け合うようになったのだった。
互いに会いたいと思えば、なぜか同じような時間に同じような場所で出くわす。それがライバルっていうもんさ。この日も、そろそろ、と思っていた場所で、ピンクのカタナが私を抜き去った。
逃すものか!
私はスロットルを全開にしてカタナを追った。車だけでなく徒歩で帰路につくサラリーマンやOLも多い時間だ。先行してたカタナは横断歩道の前で赤信号に捕まって停車する。
私はゆっくりと深呼吸しながら、そのカタナの横にRZをつけた。
やがて信号が点滅し始めた。
いよいよシグナルグランプリの始まりだ。背徳的な勝負の愉悦に私は身震いする。RZのタコメーターの針も、私の密かな興奮を敏感に感じ取っている。
やがて信号が青に変わり、軽量のRZのメリットをフルに生かした私は、カタナの鼻先を抜けて前に出た。右手には力が入り、スロットルはワイドオープン。私とRZは強弓から放たれた矢のように一直線に駆けた。
やった!
私とRZはピンクのカタナを抑えてグイグイと前に出た。勝利の予感に私の心臓はファンファーレを鳴らし始めた・・・。
熱い勝負の翌日・・・
翌朝、私はいつもと同じように起きて、RZにまたがった。
え?カタナとの勝負の結末はどうなったって??
ライバルとの勝負は永遠に続くのさ。昨日は昨日、今日は今日。
また同じような時間に、同じような場所でカタナのダンナと出くわすだろう。そしてそのとき、また二人の勝負は始まるんだ。
公道にゴールはないってことさ。