世界を驚嘆させた大事件をモチーフに、クリント・イーストウッド監督が映画化。
ストーリー
バードストライクによって、ラガーディア空港離陸直後に墜落の危機に陥ったエアウェイズ1549便。機長と副操縦士は離陸した空港に引き返すか、ハドソン川に着水するかの選択に迫られ、結果として着水を選ぶ。しかし旅客機の着水は非常に難しく、さらに成功したとしても機体の損傷は免れず、真冬のハドソン川からの浸水が客室に流れ込めば水死または凍死のリスクがあった。
ギリギリの状況の中で、サレンバーガー機長は墜落の可能性を回避するためにも不時着水を決断し、さらに搭乗員たちの迅速かつ勇気ある行動に助けられ、乗客・乗員すべての救出に成功する。
世間は彼の行動を讃え、英雄と呼んだが、事故調査委員会は機長と副操縦士を、恣意的に不要な冒険を選び、150人以上の乗員・乗客の命を危険にさらしたと非難する。
果たして彼らは英雄だったのか、それとも運良く最悪のケースを免れたものの誤った判断をした愚か者だったのか。
機長以下、乗務員たちのプロ根性に心震える
本作をたとえ観ていないとしても、事実としての「ハドソン川の奇跡」をご存じの方は多いだろう。
結果として不慮の事故から多くの人命を救ったことは間違いないが、そもそも不時着水というリスクの多い手段を選ぶ必要があったのか、判断そのものが間違っていて、結果オーライだったのではないか、という疑念を主軸として、本作は成立した。
実際、機長らの判断ミスの可能性は徹底的に調査されたそうだ。そして、最終的に彼らの主張通り、着水は不可避であったことが認められている。しかし、心ない人たちからの謂れ無い猜疑の視線は当時の彼らの心を酷く痛めたに違いない。
この作品を観て思い起こすのは、2014年4月の韓国フェリー転覆事故だ。大型旅客船「セウォル(世越)」が沈没し、乗船者計476名のうち実に300名以上の死者・行方不明者を出した悲惨な事故だが、この事故とハドソン川の事故を切り分けるのは、死傷者を出したかどうかだけではなく、事故が起きた後の乗組員たちの行動だ。船長自ら多くの乗客を置いて逃げ出したセウォルのケースに対して、USエアウェイズ1549便の場合は、着水したあとで乗務員・乗客に襲いかかった浸水の危機にあっても、乗組員たちは冷静に対処し、乗客全員を無事に避難させたあとで退出した。浸水している客室を調べ、逃げ遅れている者がないことを最後の最後まで確かめた上で脱出したのは、他ならぬ機長だった。仮に着水自体が判断ミスであったとしても、機長の勇気と責任感を責められる者はいなかっただろう。
判断の良し悪しではなく、プロとしての責任を全うした、少なくともしようとした彼らの、勇気と責任感を何度でも讃えよう。この映画を観て、再び彼らに乾杯しよう。