1960年代にMVとホンダで大活躍!
マイク・ヘイルウッドは、英国で大きなモーターサイクルディーラーを営むスタン・ヘイルウッドの息子として1940年4月2日に生まれました。裕福な家庭で育ったヘイルウッドは17歳からロードレースを始めますが、その天賦の才であっという間に英国ロードレース界で頭角を現しました。
「金持ちの息子だから良いマシンに乗れる」と彼に嫉妬し、その実力をいぶかる者も少なくありませんでしたが、当時世界ロードレースGP王者だったジョン・サーティーズは、ヘイルウッドの才能が頭抜けていることを看破していました。「ヘイルウッドはやがて王者になる」というサーティーズの予想は、その後すぐ現実のものとなります。
1961年のマン島TTではプライベーターとして参加したセニア(500cc)クラスで、市販レーサーのマンクスノートンで優勝。この勝利は単気筒車でTT初の平均時速100マイル超えという、偉大なレコードのおまけつきでした。そしてライトウェイト(125ccと250cc)クラスでは、父の働きかけで得たホンダのワークスバイクにプライベーターの立場で乗りましたが、本家ホンダチームのメンバーを退けともに優勝。ジュニア(350cc)クラスは市販レーサーのAJS 7Rで出場しましたが、メカニカルトラブルによりあと少しのところで、1回の大会でのTT4勝という大記録を逃してしまいました。
その年ヘイルウッドはホンダのワークスバイク(RC162・4気筒DOHC4バルブ)でGP参戦を継続し、見事4勝をあげ初のGPタイトルを獲得します。実力を認められ、翌1962年はイタリアのMVアグスタのワークスライダーに起用されたヘイルウッドは、その期待に応え1965年まで当時の最高峰500ccクラス4連覇を果たしました。
その栄光よ永遠なれ!
しかしヘイルウッドのMVでのキャリアの後期、伝統的に自国のライダーを贔屓するMVアグスタは、ヘイルウッドのチームメイトであるジャコモ・アゴスチーニを優遇するようになります。そしてヘイルウッドは1965年最終戦日本GP(鈴鹿)の350ccクラスでの優勝を置き土産にMVチームを離脱。続く250ccクラスではホンダのRC165に乗り、栄光の"ホンダ・シックス"に乗っての初勝利を飾りました。
1966、1967年シーズン、ワークスライダーとしてヘイルウッドはホンダロードレーサーの傑作のひとつ、6気筒DOHC4バルブのRC165~166系(250ccクラス)、RC174(350ccクラス)で大活躍します。
この2年間で、250ccクラスで2つ、350ccクラスでも2つのライダータイトルをM.ヘイルウッドは獲得しました。残念ながら最高峰500ccクラスでは、ホンダRC181(4気筒DOHC4バルブ)のハンドリングに2年間悩まされ続け、因縁のMVアグスタのエース、G.アゴスチーニに屈して2年連続ランキング2位に甘んじることになりました。しかし1966年の"GPソロ5クラスのメーカータイトル独占"という、GP史上初のホンダの快挙の達成にヘイルウッドは大いに貢献しました。
ホンダのGPワークス活動停止後、ヘイルウッドは世界ロードレースGP以外の2輪レース参戦を継続しつつ、次第に4輪レースに軸足を移すことになりました(過去1963〜1965年にもレグ・パーネル・レーシングから、F1に参戦した経歴がヘイルウッドにはありました)。
4輪でも1972年は欧州F2王者に輝き、ルマン24時間耐久の表彰台に上る活躍をしたヘイルウッドですが、最高峰F1では表彰台2回、ファステストラップ1度と、2輪時代ほどの業績をあげることはかないませんでした・・・。
1978年、すでに38歳になっていたヘイルウッドは2輪に復帰し、マン島TTでドゥカティ900SSを駆り、ファクトリーのホンダUKチームを破りTT-F1クラスで優勝します。この"グレートカムバック"は大ニュースとなり、世界中に"マイク・ザ・バイク"の偉大さを再認識させました。翌1979年のセニアTTではスズキRG500に乗り優勝。当時最高となるTT通算14勝の記録を打ち立てています。
その1979年限りに、ヘイルウッドはモータースポーツから引退し、ライダー仲間のロドニー・グールド(1970年GP250cc王者)と2輪ディーラーを経営しました。しかし1981年3月21日、彼と娘のミシェル、そして息子のデビッドを乗せたローバーSD1は、違法な転回をしたトラックに激突。わずか9歳のミシェルは即死・・・軽傷のデビッドは病院の治療で助かりましたが、40歳のヘイルウッドは2日後に息を引き取ることになりました。
当時を知る者の多くは、全時代を通じての最高のロードレーサーは誰か・・・という"オールタイムベスト"の問いに、ヘイルウッドの名前をあげます。その時代を知らない私たちは過去の文献などから彼の偉業を学ぶしかないのですが、劣勢のマシンでも卓越した技量で逆境を跳ね除ける力、そして同時代の偉大なライバル相手の熾烈な戦いぶりを知るにつれ、先人たちが何故ヘイルウッドを讃えるのか、を理解することができます。
こちらはヘイルウッドの葬儀と、1978年の"グレート・カムバック"の様子をおさめた動画です。ヘイルウッドの栄光よ、永遠なれ!