ただいま受験シーズン真っ只中で、将来の進路や夢について一番悩む時期でもあると思います。
現在各業界で活躍しているあの人も、そんな時期があったのです。今回は、大人気チューニングカー漫画『よろしくメカドック』の作者である、次原隆二先生の場合をご紹介したいと思います。

次原 隆二

画像1: (よろしくメカドックファンブックⓒ次原隆二/NSP 1982 版権許諾証 UA-207©モーターマガジン社) www.motormagazine.co.jp

(よろしくメカドックファンブックⓒ次原隆二/NSP 1982 版権許諾証 UA-207©モーターマガジン社)

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1958年生まれ・福岡県出身。九州読売理工専門学校自動車科卒。1978年に週刊少年ジャンプの月例賞”ヤングジャンプ賞(当時)”に入選。翌春、増刊号に掲載。1980年に週刊少年ジャンプの「暴走ハンター」(原案:河西和久)で作家デビュー。82年より週刊少年ジャンプで「よろしくメカドック」の連載を開始して評判となる。ほかに「レストアガレージ251車屋夢次郎」(週刊コミックバンチ・新潮社)、「内閣総理大臣桜庭皇一郎」(月刊コミックゼノン・徳間書店)など作品多数。

「よろしくメカドック」というのは、約35年前の作品ですが、当時読んでいた人が大人になってもファンでい続け、主人公の風さん仕様のセリカXXを作ってしまったという人や、これを読んで車業界で働くことを決めたという人まで存在する人気作です。

そんな、読む人の人生にまで影響を与える力を持った人気作を生み出した、次原 隆二先生は、いったい何故、漫画家を目指したのでしょうか。

画像2: (よろしくメカドックファンブックⓒ次原隆二/NSP 1982 版権許諾証 UA-207©モーターマガジン社) www.motormagazine.co.jp

(よろしくメカドックファンブックⓒ次原隆二/NSP 1982 版権許諾証 UA-207©モーターマガジン社)

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じつは大学受験の失敗なんですよ。国立大学を狙っていたんですが、高校3年生での現役受験に失敗して浪人したら、翌年から現在のセンター試験にあたる共通一次試験が始まった。昔は国立大学も限られた科目で受けられたんですが、共通一次試験では今のセンター試験と同様に科目数がいきなり増えて、こりゃダメだということで進学を諦めた。それで、手に職をつけようと整備専門学校に進んだんです。そうしたら、もともとメカは好きだったし、向いてたんでしょうね。エンジンの構造とか、学ぶほど面白くて。クルマのメカってこんなに面白いんだぞってことを、みんなに伝えたいと思ったんです。それならマンガだ、ということで夏休みから二〜三カ月かけてバイクを題材に人生初の漫画原稿を描き上げて少年ジャンプの月例賞に応募したら、それが入選しちゃったんですよ。

次原隆二先生が漫画家になったきっかけ、それは大学受験の失敗だったのです。もともと絵を描くのが好きで、昔から落書き程度に描いていたが、プロになれるとは思っていなかったそうですが、漫画を描きながら整備専門学校に通い、2級整備士資格を取って卒業すると同時にプロデビューを果たしたのです。

次原隆二先生が、もし大学生になっていたら『よろしくメカドック』は誕生していなかったのです。そう考えると、今将来を模索中の皆さんが、何がきっかけでどんな成功をおさめるのか、期待に胸が膨らむエピソードではないでしょうか。

そんな、多くのクルマ好きに影響を与え続ける作品、『よろしくメカドック』!是非読んでみてくださいね。

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