車好きなら一生に一度は乗っておきたい、その選択肢としてふさわしいクルマといえば”スカイライン”。多くの伝説を生み出し続け、今年生誕60周年を迎える名車の記憶を深掘り!第2回目は2代目(S50系)に迫ります。

「スカG」の伝説はこのクルマから始まった

画像: (ホリデーオート©モーターマガジン社) www.motormagazine.co.jp

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初代の高級車路線から、グロリアと差別化を図るため当初はファミリーカー寄りに路線を変更。モノコックボディを採用し、セダンのほかワゴンボディ(スカイラインバン)も追加した。エンジンは70psを発生するG1型1.5ℓ直4。初の“丸テール”採用車でもある。64年5月には、第2回日本グランプリ出場のためのホモロゲーションモデル「GT(S54A-Ⅰ)」を100台発売。フロント部を200㎜延長し、グロリア用のG7型2ℓ直6を搭載した。翌65年2月にはその発展型としてウエーバーキャブレターを3連装して出力を125psまで高めた「2000GT(S54B-Ⅱ)」を発売。さらに同年9月にはこれをシングルキャブ化して105psとした「2000GT-A(S54A-Ⅱ)」も発売されている。これに伴い、2月に先行発売された2000GT(S54B-Ⅱ)は、新たに「2000GT-B」と呼ばれることになった。6気筒エンジンを搭載する“スカG”の歴史はここから始まる。また66年にはプリンス自動車が日産自動車と合併したため、車名はニッサン・プリンス・スカイラインに変更されている。

第1回GTカーレース、日本グランプリでのグロリアとスカイラインの惨敗を受け、第2回に向けたレースに勝てる車として開発されたスカイラインGT。通称「ハコG」。

そして、そんなプリンスの目論見通り、第2回日本グランプリでポルシェ904GTSと白熱したバトルを繰り広げ、「羊の皮を被った狼」と呼ばれた事でも注目されました。

日本のファミリーカーが、1度でも世界で戦うレーシングカーに勝利したという実績は、多くのファンの心をつかみ、注文が殺到するも、レース用のマシンとしてホモロゲーションを取得するために、100台限定でしか製作されなかったという幻の1台でもあったのです。

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