ホンダも影響を受けた量産公道車を、母体とする市販レーサー
レースというものは平和な時代だからできるもので(ありがたいですね)、第二次世界大戦後に敗戦国となったドイツは、1949年に成立した世界ロードレース選手権(現MotoGP)にすぐには参加できませんでした。つまり連合国側は、敗戦国のドイツの参戦を当初認めなかったのです。
もっとも当時、国土の多くが焦土と化したドイツも、ロードレースとかしている場合ではなかったわけで、もっぱらドイツの各製造業者は、復興に向けての仕事に取り組んでおりました。
ドイツのネッカースウルムに居を置くNSUは、戦後のモータースポーツ界のドイツ勢締め出し措置が解除されてからすぐ、ファクトリーのロードレース活動を復活させました。1953年から1963年までの間110万台!!という売り上げを記録したモペッド、「クイックリィ」の成功により、潤沢な資金を得たNSUは、超高性能な125cc単気筒のR11レンフォックスと250ccツインのR22レンマックスを熟成させます。
青いフェアリングから、「ブルーホエール」と呼ばれたこれらのマシンは、1950年代半ばの世界GPを席巻します。ちょうど、有名な「マン島TT宣言」後に視察でマン島TTを見たホンダの創業者、本田宗一郎さんは全盛期のNSUファクトリーマシンを目の当たりにし、「やべぇ・・・こんな連中と戦わないといけねぇのかよ・・・無理無理かたつむり!」とつぶやき、TTで勝つなんてできるのかよ・・・と不安になったそうです(※一部、誇張表現とか混ざってます)。
しかし、名技術者のワルター・フルーデ博士率いるR11とR22のブルーホエール軍団は、1954年限りでGPの舞台から突然退場することになりました。ロードレースのファクトリー活動にかかる多大なコストを案じたNSU首脳は、その年限りでチームの活動停止を命じたのです。
そして、その代わりに登場したのが、市販レーサーのNSUスポーツマックスでした。この市販レーサーは公道用量産車をベースとしていましたが、このベース車を開発したのはもうひとりのNSUの名技術者として著名な、アルベルト・ローダーでした。
プレス鋼板を用いたシャシーもユニークですが、NSUマックスのエンジンは車体に劣らずユニークでした。当時量産車では高級メカニズムだったオーバーヘッド・カムシャフトを採用するマックスの単気筒エンジンですが、なんとカムシャフトの駆動方法には一般的なチェーンやベベルギアシャフトではなく、2本の連結ロッドを用いていたのです!
多くの名ライダーを育てた市販レーサーの傑作
250ccの量産公道車として、当時世界最高レベルにあったマックスは、優れた市販レーサーとなる素地を持っていました。OHC機構のエンジンは信頼性が高く、元のマックスは17馬力の最高出力でしたが、市販レーサー版のスポーツマックスは28馬力までチューニングアップされても、その信頼性は揺るぐことはありませんでした。なおスポーツマックスの最高速は212km/hであり、ライバルのイタリア製単気筒ファクトリーマシンに遜色のないポテンシャルを有してました。
車体はオリジナルのマックス同様プレス製法の鋼板製。市販量産車と市販レーサーの差がこれほど少なくて、それでいて世界GPタイトルを市販レーサーが獲得できるということは、いかに量産公道車のマックスが優れていたかの証左となるでしょう。
トライアルの神様・・・と称されるサミー・ミラー、4輪F1と世界ロードレースGP王者(350cc & 500cc)を唯一獲得したジョン・サーティーズ、そして"オールタイム・ベスト"のGPライダーのひとりである"マイク・ザ・バイク"ことマイク・ヘイルウッドも、プライベーター時代にNSUスポーツマックスで活躍しました。
じつはヘイルウッドが乗ったスポーツマックスは、かつてサーティーズが愛用していたマシンでした。サーティーズの父は、当時英国最大レベルの2輪販売店のオーナーだったヘイルウッドの父、スタンと仲が良く、スタンの申し出に応じサーティーズ父はこのスポーツマックスを譲ったのです。
1955年のアルスターGPで勝利したときの相棒である、このスポーツマックスを大変気に入っていたサーティーズはそのことが非常に不満だったことを後に述べてますが、若きヘイルウッドとこのスポーツマックスの活躍が、その後の彼の偉大な記録への弾みとなったことを考えれば、少しはサーティーズへの慰めになるのかもしれません・・・?(まだ根に持っている可能性もあります?)。
なお、元ヘイルウッド車は£69,000で落札されました・・・!
ちなみに、サーティーズとヘイルウッドというふたりのレジェンドが乗ったヒストリーを持つ、非常にレアなスポーツマックスは、2年前にオークションで£69,000(今のレートで9,501,676円!)で落札されたそうです・・・。
まぁ、このプライスはヒストリーの凄さからくるプレミアム性を加味したものですが、素のスポーツマックスもやはりかなり高額なヒストリックレーサーとして値付けされるのが常です。スタンダードのマックスをベースに、スポーツマックス風に仕上げたレプリカも売買されていますが、広い世の中には本物と偽って売ろうとする悪い人もいるでしょうから、みなさん十分気をつけてください?
なお、1955年のスポーツマックスの偉業についで、市販レーサーによる世界GPタイトル獲得を成し遂げたのは1971年、偉大なるフィル・リードとヤマハTD2Bでした。こちらのお話も、リクエストがあればいつかご紹介しようと思います。最後にスポーツマックスと、マックスのオフロード版であるゲレンデマックスの走りをおさめたレア動画をご紹介して、この稿の結びにいたします。