2004年には日本人として史上初、世界チャンピオンを獲得
ロードレース、モトクロスと来ればトライアルも世界選手権が行われています。
予選・決勝といった形式ではなく、土曜が決勝1日目、翌日曜日も決勝レースという形式です。
他の競技と違い、速さを競うのではなく制限時間内に、いかに足を着かずにセクションを通過出来るかを競うのです。
現在36歳として世界を舞台に闘っている“フジガス”こと藤波貴久選手。しかし、世界の舞台に躍り出ていったのは、何と27年も過去のことです。
1989年に自転車トライアル世界選手権プッシンクラス(10歳以下)でランキング3位。
1990年に自転車トライアル世界選手権プッシンクラス( 〃 )でチャンピオン獲得。
翌91年からいよいよバイクのトライアルにステップアップしますが、95年には史上最年少(15歳)の全日本トライアルチャンピオンの座につきました。
そして翌96年から、藤波選手による世界選手権への挑戦が始まるのですが、今年までの20年間全て一桁ランキングというリザルトを残しています。
特に2004年に世界タイトルを獲得した当時、藤波選手はスペインに住んでいましたが、MotoGPでも取引のあるDORNA社(注)と協議し、日本人としての偉業を何とかカタチに残したいと考えました。
DORNAのクルーにインタビューを収録してもらい記念となる年を綴った作品を企画したのが昨日のことのように思い出されます。
今年、ツインリンクもてぎで行われた日本GPの2日目に、300戦となる参戦を果たしセレモニーも行われ、ファンはあらためて鉄人ぶりを再確認したのでした。
世界選手権参戦300戦という金字塔
因みに藤波選手の愛称である、フジガス(FUJIGAS)のGASは、スペイン語やイタリア語で“全開”という意味です。それほど、藤波選手のスロットルの開けっぷりは、他のライダーに比べてもアグレッシブなのです。
地元ツインリンクもてぎで行われた日本GPでは、初日2日とも3位表彰台登壇を果たしました。藤波選手がセクションに入り、急な上り坂を駆け上がらんとするタイミングでは、ファンから『フジガスー!』の声援が数多く飛んでいました。
その彼の今季の成績は以下の通り。
残りのベルギー、イギリス、イタリアでもディフェンディング・チャンピオンのトニー・ボウを追い詰めて、2度目のタイトル獲得を実現して欲しいものです。
第1戦・第2戦 スペイン / 7位・5位 / ランキング7位
第3戦・第4戦 日本 / 3位・3位 / ランキング4位
第5戦・第6戦 ドイツ / 4位・5位 / ランキング3位
第7戦・第8戦 アンドラ / 3位・6位 / ランキング3位