目黒製作所は大正時代に鉄工所からスタートし、後にトランスミッションで成功これに弾みを得て、エンジンを開発してレースに参戦、ついにはオートバイの製造に至ったのであった車名はメグロ。最も成功したのは1950年代だ。そのころの250ccモデルを見ていただこう。

1954年型 メグロ ジュニア S2

画像: (Bikers Station@モーターマガジン社) www.motormagazine.co.jp

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1950年代のメグロは、小は125㏄単気筒から大は650㏄並列2気筒までのラインアップを揃えた堂々たる日本のオートバイメーカーだった。その中核をなしたのが250cc単気筒のジュニアシリーズで、1950年にジュニアの頭文字をとったJを、1951年にJ2を発売。その後、軽2輪免許の新設によってJシリーズを350㏄に移行し、250㏄クラスをSと改名、1953~1954年に初代モデルを、1954~1956年に改良型のS2を販売したが、車名はジュニアのままであった。Sシリーズは、その後も人気モデルとして継続され、1954年にS3、1959年にS5(S4とS6はない)、1960年にはリアサスペンションをスイングアームとしたS7へと進化するが、1962年のS8を最後に同シリーズは1964年で終焉を迎えた。すでに1960年にカワサキと提携、1964年には傘下となったが、この年、250㏄の新作としてメグロSGを発売する。しかし、これをもってメグロの名は消え去っていくのだった。 近代化の波に乗れなかったメグロ。しかし、それゆえにか美しい作品である。(佐藤康郎)

全体的な車体のイメージはイギリス車に近いメグロ。Kawasakiの傘下に入ってなおも時代の流れに飲み込まれてしまった、日本の伝統的なバイクメーカーは、今もなお、Kawasaki Wシリーズの原型として生き続けている。そんなメグロが生み出した、1954年型 メグロ ジュニア S2という芸術を振り返る写真集。

車体寸法は、全長:2150 全幅:810 全高:1000 軸間距離1390(各㎜)
タイヤサイズF:3.00-19 R:3.25-19 車重:157㎏。
フロントサスペンションはテレスコピックで、リアはショックユニットを前傾させたプランジャー式。フレーム のメイン部はシングルクレードル。

フレームがシングルクレードルでエンジンが単気筒だ から非常にスリムで、ミラーは片側のみとなているデザインも絶妙なバランスで美しい。

このシンプルで美しい形状が、全く時の流れを感じさせない。

メグロ。現代に蘇って欲しい時代の渦にに消えてしまったバイクメーカーの1つではないでしょうか。

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