この連載は東本昌平氏の描き上げたイラストと共に日本の名車を紹介します。艶やかな美女たちと名車たちの響演をご堪能ください。
©東本昌平・モーターマガジン社

HONDA「CB750FOUR」(1969)

1969年、通称K0の販売開始。当時としては世界最高のスペックを誇る「ドリームCB750FOUR」。

画像: 当時、世界的に名を馳せていた英国 のトライアンフや BSAを名実ともに上回る世界戦略車として 1968年の東京モーターショーでデビュー。750ccの並列4気筒に4本マフラー、ディスクブレーキなど、当時としては夢のようなメカを満載し、 最高速度 200 km /h、ゼロヨン12.6秒という公称データももちろん当時世界最高。予想に反して市販開始と同時にオーダーが殺到し、慌ててクランクケースの鋳造を砂型から金型に変更したのは有名な話だ。(©モーターマガジン社 / 東本昌平 RIDE 99)

当時、世界的に名を馳せていた英国 のトライアンフや BSAを名実ともに上回る世界戦略車として 1968年の東京モーターショーでデビュー。750ccの並列4気筒に4本マフラー、ディスクブレーキなど、当時としては夢のようなメカを満載し、 最高速度 200 km /h、ゼロヨン12.6秒という公称データももちろん当時世界最高。予想に反して市販開始と同時にオーダーが殺到し、慌ててクランクケースの鋳造を砂型から金型に変更したのは有名な話だ。(©モーターマガジン社 / 東本昌平 RIDE 99)

CB750FOURの誕生エピソード

本田宗一郎氏が1968年6月にスイスへ行った際、白いオートバイに乗ったお巡りさんが公園にやってきたそうです。それを見た宗一郎氏は「何だ、小さなオートバイに乗ってきたなあ」と思っていると、どうやらそれはトライアンフの750ccで、実際には大きなバイクだったのです。お巡りさんの身体が大きすぎるためにバイクが小さく見えたのでした。これを機に彼は「日本の感覚でオートバイを作っていたんじゃ、だめだわいなぁ!」と思い、早く作れ作れとハッパをかけ本モデルを作らせたそうです。(1969年1月発行の本田技研工業社報124号参照)

最後まで読んでくださりありがとうございました。
私はバイクについてよく知りません。知らないけれど、バイクに魅了されました。特に東本昌平さんの描く女性とバイクがセクシーで魅了されたのです。これを機にRIDEを紹介する連載をしています。分からないことだらけで知識は付け焼き刃ですが、どうか温かい目で見守ってくださればと思います。追伸:時々バイクの声が聞こえてくるため、バイクの声を代弁していることがあります。

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