アンディ・ウォーホルはアメリカの画家・版画家・芸術家でポップアートの旗手。銀髪のカツラをトレードマークとし、ロックバンドのプロデュースや映画制作なども手掛けたマルチ・アーティスト。本名はアンドリュー・ウォーホラ(Andrew Warhola)。 - Wikipediaより
画像: Andy Warhol(1928年8月6日 - 1987年2月22日)とLou Reed(ミュージシャン: 1942年3月2日 - 2013年10月27日) ia.media-imdb.com

Andy Warhol(1928年8月6日 - 1987年2月22日)とLou Reed(ミュージシャン: 1942年3月2日 - 2013年10月27日)

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将来は、誰でも15分間だけ有名人になれるだろう。
アンディ・ウォーホルはこう言ったが、「15分で、誰でも有名人になれるだろう」と言い換えた。

インターネットがこれだけ普及した世界にあって、彼の言葉は非常に的を射ていると言える。YouTuberとして有名になれば、テレビを活躍の舞台に置くエンターテナーたちを凌ぐ知名度と収益を得られるし、インスタグラムでは中学生でさえ数万人を超えるフォロワーを獲得して、ファッショニスタとしてファッション誌のモデルたちを凌ぐ人気を持つようになる。
ソーシャルとモバイルが世界を狭くして、確かにわずか15分でも、あっという間に世界的な有名人になれる時代になったのである。

アンディ・ウォーホルはこうも言う。「僕を知りたければ作品の表面だけを見てください。裏側には何もありません」と。人間は見た目が全てであり、見たままの状態が真実なのだ。逆に言えば、目に見えないものは存在しないことと同じであり、誰の目にも見える、わかりやすく表現することが重要だと彼は言っている。(だから彼はサングラスや黒ずくめの格好を愛し、自分の青白い顔色に合う銀髪のカツラを愛用した。見た目をそうして異形の者に見せることで、自分の存在に神秘性を与えることに成功したのである)

アンディ・ウォーホルはポップアートの旗手、と言われる。彼はマリリン・モンローの肖像画や、スープの缶(米国では非常にポピュラーでありふれた存在の象徴としてのキャンベル・スープ)の図版をシルクスクリーンプリントを量産し、売りさばいた。

画像: warholfoundation.org

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芸術というものは基本的に一点モノであり、本物と偽物、もしくはコピーが存在する。本物と区別がつかない出来のコピー(もしくはクローン)であっても、本物でない限り、同じ価値ではない。コピーであることを宣言すればよし、それを黙っていれば偽物、と言われる。
本物は一つしか存在してはいけない、もしくは、希少価値が出るほどの少ない数、しかあってはならない。

しかし、アンディ・ウォーホルはその定義をあっさりと破壊する。彼に代表されるポップアートでは、デザインそのものに価値があり、芸術作品とは物体ではなく目に見えるそのデザインやレイアウトである。

彼は35歳のときにNYに創作拠点を設けたが、これをアトリエとかスタジオと呼ばず、ファクトリー(工場)と名付けたが、これは彼自身が芸術作品を”大量生産”することを意識していた証拠だ。


画像: 写真や映像に並々ならぬ関心を抱いていたウォーホル www.biography.com

写真や映像に並々ならぬ関心を抱いていたウォーホル

www.biography.com
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多くのロレンスの読者は、モーターサイクルやクルマに対する強い愛情を抱く人が多いだろうと思う。オートバイにしてもクルマにしても、芸術品として一点モノを作るつもりで作られたプロダクトではない。あくまで多くの人間に利用されることを前提として、原則として大量生産される製品である。

しかし、こうして生み出される製品たちだが、僕たち愛好者たちはそれらをアートとして認識していることが多いのではないだろうか?

例えばブラフ・シューペリアのような希少車は、確かにオートバイでありながら現存する車両が極端に少なく(希少性を持つまでに少なくなって)、結果として誰もが認める芸術的な価値を得たが、例えばSUZUKIのカタナなら、20年近く形を変えずに販売されていたことから、いまだに相当数の車両が現存し、希少性という意味ではさほどではない。しかし、あのバイクの、いまでも見る者をはっとさせるデザイン、造形美をもって、あれは間違いなくアートであると感じる人はかなり多いのではないか??

バイク乗りの多くは、自らの体がむき出しになる乗り物であるオートバイにまたがる時、愛車に似つかわしいスタイルを自分なりに探している。レザージャケット、ヘルメット、グローブ、ブーツなど、安全性だけではなく、間違いなくファッションとして愛車とのバランスを考えるものだ。
アンディ・ウォーホルが、自らの作品と自分のイメージを重ね合わすために銀髪のかつらを用意し、周囲が彼に抱くであろうイメージを損なわない言動やライフスタイルを貫き通したのと同じで、僕たちもまた、オートバイというポップアートに見合うスタイルを無意識に追っているはずなのである。

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