今日3月11日は、日本人ならば忘れることのできない特別な日です・・・。悲しくも情けないことにまだ復興の道程は半ばですが、1日も早くすべて被災者の方が・・・そしてお亡くなりになった方の魂が救われることを祈念します。

3月10日のことも、皆さん覚えてください・・・。

ところで、3月11日の前日の10日ですが、13年前のこの日は世界のロードレースファンに愛された英国のレジェンドライダー、バリー・シーンがお亡くなりになった日でもありました。1976、1977年の世界ロードレースGP500cc王者のバリーは、アメリカの英雄であるケニー・ロバーツと激しいバトルを繰り広げました。

画像: 愛嬌のある、生粋のロンドンっ子・・・その人柄に、魅了されたロードレースファンは数多いです。 http://www.motorcyclenews.com/news/2016/march/remembering-sheene/

愛嬌のある、生粋のロンドンっ子・・・その人柄に、魅了されたロードレースファンは数多いです。

http://www.motorcyclenews.com/news/2016/march/remembering-sheene/

昨年、ダニー・ケントがモト3でタイトルを獲得するまで、バリーは英国人最後のグランプリの世界選手権覇者として歴史に名を刻んでました。もっとも、バリーの人気は「王者だった」という記録だけに依存するものではありませんでした。人懐っこい笑顔とキャラクター、甘いマスクとプレイボーイぶり・・・今、最も人気のあるバレンティーノ・ロッシに、人間としてのあらゆる魅力を「全部載せ・マシマシ」にしたのがバリー・・・といえば、当時の彼を知らない人にもイメージしやすいのではないでしょうか?(ロッシファンのみなさん、悪意はないので怒らないでね?)。

画像: 今は有力ライダーの「パーソナルナンバー」は当たり前・・・になりましたが、ゼッケン7にこだわったバリーは、その先駆者でありました。そして、宿泊するホテルの部屋番号も7を選ぶなど、彼の7に対するこだわりは、商売抜きに徹底したものとして知られている。 www.motorcyclenews.com

今は有力ライダーの「パーソナルナンバー」は当たり前・・・になりましたが、ゼッケン7にこだわったバリーは、その先駆者でありました。そして、宿泊するホテルの部屋番号も7を選ぶなど、彼の7に対するこだわりは、商売抜きに徹底したものとして知られている。

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がんとの闘い・・・そして早すぎる死・・・。

画像: GP王者獲得時の愛機だったスズキ・・・のイメージが強いバリーですが、イトム、ノートン、ブルタコ、クライドラー、ヤマハなどなど、さまざまなマシンで彼は「速さ」を披露しました。ただ、父フランクが2ストロークチューニングの達人だった背景もあるのか、バリーは2ストロークのほうが好みで、4ストロークはあまり好きではないと、過去雑誌のインタビューで答えています。 www.motorcyclenews.com

GP王者獲得時の愛機だったスズキ・・・のイメージが強いバリーですが、イトム、ノートン、ブルタコ、クライドラー、ヤマハなどなど、さまざまなマシンで彼は「速さ」を披露しました。ただ、父フランクが2ストロークチューニングの達人だった背景もあるのか、バリーは2ストロークのほうが好みで、4ストロークはあまり好きではないと、過去雑誌のインタビューで答えています。

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GPから引退した後オーストラリアに移住し、レース解説者として活躍したバリーは、時々クラシックイベントなどに参加し、相変わらずの速さをファンに披露したりの暮らしをしていました。しかし、食道がんにかかり病魔との闘いを強いられることになり、52歳という若さでこの世を去ってしまいました。もし今も健在でいたら・・・それでも65歳という年齢で、まだまだ元気な姿を皆の前で見せていてくれたであろうと思うと、本当に残念です。

先日ご紹介したとおり、今現在バリーの伝記映画が製作されているらしいですが、多くのバリーファンの期待に応える内容に仕上がってほしいですね。よろしく頼みますよ! 監督&プロデューサー!(笑)。

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